波佐見焼

波佐見焼とは、長崎県東彼杵郡波佐見町で生産されている伝統工芸品です。長崎県は陶器作りに適した品質の良い陶石が豊富に採れる土地であるため、波佐見焼の生産地として古くから栄えてきました。

加工がしやすく、流行に沿ったモダンなデザインやカラフルな色使いのキュートなデザインのものまで幅広い商品が作られています。今回はそんな波佐見焼について特集していきます。

由来・歴史

波佐見焼の歴史は、1590年代頃からと言われています。豊臣秀吉が行った朝鮮出兵の際、当時の大村藩主が朝鮮で陶工をしていた李祐慶という人物を日本へ連れ帰り、村内に登り窯を築いたことから始まります。はじめは陶器が良く生産されていましたが、波佐見町近辺で陶石が発見され、磁器の生産が盛んに行われるようになりました。

17世紀半ば頃、中国内で起こった内乱の影響で中国産の陶磁器や焼き物の輸出が止まり、代わりに注目されたのが日本の焼き物でした。波佐見の人々はこの機会に海外向け商品の大量生産をはじめ、数多くの波佐見焼が輸出されるようになりました。しかし、中国の内乱が落ち着くと中国磁器の輸出が再開され、波佐見焼は海外から国内へと市場を変えることを余儀なくされました。

この際、巨大な窯を築き更なる大量生産を目指し、安価で丈夫さもある庶民から親しまるような日用食器が大阪などでたちまち人気を博しました。波佐見焼は常にその時代を生きる人々のニーズにあわせた様々な商品が製造され続けており、現在も根強い人気を誇っています。

種類

以下の三種類は波佐見焼の中でも特に知名度が高く、人気が高いです。

くらわんか椀

江戸時代頃、磁器は高価なものとされていた当時、安価な値段で販売されていたくらわんか椀は江戸の庶民の間で人気の高い商品でした。くらわんか椀の商人は「餅くらわんか、酒くらわんか」という謳い文句で販売を行っていたため、くらわんか椀とよばれるようになりました。

コンプラ瓶

幕末頃にオランダ人が醤油を入れるための瓶の制作を波佐見焼の職人に依頼したことがきっかけで作られ始め、醤油や酒などを輸出するために重宝されました。

ワレニッカ椀

1987年に給食用の割れにくい食器として作られました。ワレニッカ椀はその割れにくさから全国の学校でも使用されるようになりました。

特長

波佐見焼は、他の陶器と比べると特筆すべき特徴がないと言われていますが、それが波佐見焼の強みでもあります。型にはまりすぎていないがために北欧風や西洋風といった流行りのデザインを取り入れた製品を作ることが可能で、多彩な種類の商品が販売されています。

また、かつて外国人から醤油など液体物の輸出のための割れにくい瓶の製造の依頼を受けたり、給食の器として採用されるほどの丈夫さを持っています。さらに、分業制を採用することによって大量生産を可能とし、手に取りやすい価格の商品もたくさん販売されているため、非常に日常使いしやすく人気の高い工芸品です。

作り方

波佐見焼の作り方について波佐見陶磁器工業協同組合のウェブサイトから抜粋してご紹介致します。詳しく知りたい方は波佐見陶磁器工業協同組合公式サイトをご覧ください。

陶石

磁器の主原料として、天草陶石を使用しています。これは、焼き縮が少なく、適した粘り気があり、焼き上げてみると上品な白さが出ます。波佐見焼の第一の特徴である、透けるような白磁の美しさの秘密がここにあるのです。

粉砕

陶石を細かく砕いて粉末にします。

成形

成形には機械ロクロ、ローラーマシン、鋳込みなどがあります。そのために、石膏で基本となる型を作ります。手だけで自由に形を作る手びねりなどがありますが、波佐見焼のほとんどが型を使って作ります。

機械ロクロ

型を回転させながら、金属板のコテをあてて土を延ばし、形を作ります。茶碗や徳利など、丸い器の成形に。

ローラーマシーン

石膏型と金型を回転させ、圧力をかけながら土を延ばして、形を作ります。

手ロクロ

土を回転させながら、指とヘラで形を作っていきます。

鋳込み

土を液体状にして、型に流し込んで固めます。

素焼

成形の後、素地を削って整え仕上げたものを、風通しがよく日の当たるところで充分に乾燥させます。その後、窯に入れ約900度で焼きます。下絵付や釉かけをしやすくするために必要な工程です。

下絵付

素焼に、高温で発色する顔料(下絵具)で絵柄を付けます。呉須による染付が代表的。

釉かけ

表面が滑らかになるよう、釉薬(ゆうやく)に浸し、仕上げます。

本焼成

約1300度で焼きあげます。釉薬は高温で溶けて、表面に薄いガラス質の膜を作ります。装飾や表面を滑らかにするほか、吸水性をなくし、硬くする目的があります。

上絵付

低温で溶ける顔料(上絵具)で、釉の上から絵を描きます。赤絵や金彩などが多い。その後、約800度で焼きあげます。

検品

完成後は、厳しい製品検査を行い、ひとつひとつていねいに梱包して、全国に出荷されます。

焼き上がり

以上のような行程を経て、波佐見焼は完成します。

出典:波佐見陶磁器工業協同組合

いかがでしたか?

長崎県東彼杵郡波佐見町で生産されている伝統工芸品、波佐見焼についての特集でした。波佐見焼は型にはまらないスタイルを取っているためモダンなデザインや流行りのデザインを取り入れた商品が数多く販売されるなど、現在でも多くの人から人気や注目を集めている伝統工芸品です。気になった方はぜひ一度お手に取ってみてはいかがでしょうか。

甲州印伝

甲州印伝とは、主に山梨県甲府市で生産されている、鹿の革を使用して作られる伝統工芸品です。鹿の革の上に漆で模様を付けて作られる甲州印伝は、その見た目の華やかさだけではなく、強度も備えているためかつては鎧や兜などの武具としても加工されていました。かの有名な武田信玄も、甲州印伝を愛用していたと伝えられています。今回はそんな甲州印伝について特集していきます。

由来・歴史

甲州印伝の持つ歴史は長く、江戸時代末期ごろには既に盛んに制作や売買が行われていたといわれています。印伝という名前は、江戸時代に日本を訪れた外国人がインドの装飾品を幕府に献上したことから由来しており、国内で作られたものを「印伝」と呼ぶようになりました。

当時人々の生活の中で革製品が良く使用されるようになり、各所で多くの印伝が作られていましたが、現代まで残っているのは甲州印伝のみです。印伝に漆を塗りはじめたのは、1700年頃からだと伝えられています。肌触りの良い感触が好評で評価が高く、甲州印伝の人気が広がります。

明治時代に入ると博覧会で甲州印伝が勲章を取り、山梨を代表する名産品としてさらに知名度を広げていきました。

種類

甲州印伝は、主に3種類の技法によって製作されます。

漆付け

甲州印伝の技法の中で最も代表的な技法であり、手彫りの模様が描かれた型紙を鹿革の上に置き、漆を刷り込み模様を付けていく技法です。伝統的な模様と漆の調和が大変美しい技法です。

「ふすべ」と読み、鹿革を大きな筒に貼り付け、藁を焚いていぶした後、松脂でいぶして仕上げる独特の方法で色付けをします。古来より一子相伝で受け継がれてきた伝統ある技法です。

更紗

複数の型紙を使用し色を重ねて仕上げる方法です。均等に色を付けていくのに高い技術を要し、難易度の高い技法によって作られています。たくさんの異なった色付けが可能なため、鮮やかな色彩が楽しめるという特徴を持ちます。

特長

甲州印伝の特徴として、鹿の革を漆で模様付けしている点や、長く使い続けることで発色がより良くなっていくため、革の変化を楽しめる点などが挙げられます。甲州印伝の伝統的な模様はさまざまな種類があり、草花やトンボなどの昆虫をはじめ、縁起が良いとされるモチーフが好まれています。

甲州印伝は鹿の革の光沢やなめらかな触り心地など、高級感漂う工芸品であるだけでなく、かつては鎧や兜などの武具に使用されていたほど丈夫で、手入れを行えば末長く使用できるといった面も持ち合わせています。

頑丈な上に鹿の革特有の軽さといった特徴も持っており、他の革製品と比べて使いやすく、最近では有名キャラクターや海外のブランドとコラボした商品も販売しています。ポーチやハンドバッグなど時代のニーズにあわせたファッションアイテムを販売したりなど、伝統工芸品でありつつも普段使いもしやすく、流行りにあわせさらなる進化や発展を遂げています。

お土産や仕入にオススメ

山梨県甲府市で生産されている、鹿の革を使用して作られる伝統工芸品、甲州印伝についての特集でした。長い歴史を持つ甲州印伝は、伝統の技法を現代まで受け継ぎ、現在も伝統に沿ったデザインの商品や、ブランドとコラボしたモダンな商品などを数多く生産し続け、人々から愛され続けています。お土産や仕入れにぴったりです。ご興味のある方はぜひ一度お手に取ってみてはいかがでしょうか。

別府竹細工

別府竹細工とは、大分県別府市で作られている伝統工芸品です。別府の地で育った良質なマダケをふんだんに使用し、職人の手によってひとつひとつ丁寧に仕上げられている別府竹細工は、様々な日用品に加工され人々の生活を支えている趣のある伝統工芸品です。

1979年には経済産業大臣によって、伝統的工芸品として指定されています。今回はそんな別府竹細工について特集します。

由来・歴史

別府竹細工は、12代景行天皇が熊襲征伐を行った際、その帰りの道中別府に立ち寄り、天皇のお伴が良質のシノダケが多く生えていることに気づき、メゴ(茶碗かご)を作ったことがきっかけと言われており、この一連の出来事が日本書紀に記録されています。

江戸時代に入ると別府は温泉地として有名になり、人々が多く訪れるようになりました。滞在先などで竹細工の製品を使用した旅行客の間で評判が良く、お土産として持ち帰る人がいるほどの人気ぶりでした。その後も日用品や芸術品など幅広い製品が生み出され、別府竹細工はますます発展していくことになります。

日本の高度経済成長期ごろ、安価なプラスチック製の日用品が販売されるようになってからは一時期停滞してしまいますが、培った技術は衰えず、高品質な伝美術的価値の高い工芸品として、今も人々から愛され続けています。

種類

別府竹細工には、様々なな種類の編み方があります。

四つ目編み

網目が四角形になる編み方

六つ目編み

網目が六角形になる編み方

八つ目編み

網目が八角形になる編み方

網代編み

縦横が均一な竹ひごをずらして隙間なく編み込んでいく方法

輪弧編み

竹ひごを放射線状に編み込んでいく方法

ござ目編み

見た目がござのように見えることからこのように名づけられた。

松葉編み

見た目が松葉のように見えることからこのように名づけられた。

菊底編み

完成した様子が菊の花の見た目と似ていることからこのように名づけられた。

特長

別府竹細工の特徴として、職人の手によって編み上げる「編組」という技法が使われていることや、200通り以上の様々な編み方によって多種多様な竹細工の製品を作ることが可能な点などが挙げられます。

別府の地で育った良質なマダケを使用して作られており、その繊維が細かいため、他の竹よりも編組しやすくなっています。計算された竹のしなり具合は、熟練の職人でなければ中々作り出すことができません。

竹本来の素材の良さを最大限に生かし、自然の美しさやぬくもりを感じることができます。別府竹細工の中でかごが代表的な商品ではありますが、かご以外にもピアスなどアクセサリーやキッチンツールなどの現代のニーズにあわせた商品も販売されています。

作り方

別府竹細工の作り方について、JTCO日本伝統文化振興機構ウェブサイトから抜粋してご紹介致します。詳しく知りたい方はJTCO日本伝統文化振興機構の公式サイトをご覧ください。

【1】 原竹伐採

竹林から製品作りするため(3年~4年経った)竹を伐採します。

【2】 油抜き湿式

カセイソーダにて約15分煮沸して、染み出た油分を拭き取ります。

【3】 天日乾燥

油抜きして、天日乾燥することにより竹の色が黄色に変わります。
生産者はその竹を購入します。

【4】 切断加工

竹を必要な長さに切断し、その竹を半分に割ります。

【5】 荒割り

半分に割った竹を、さらに半分に割り続け、竹ひごの元をつくります。

【6】 剥ぎ

【7】 ひご加工

「すき銑」という道具でひごの厚さを揃えます。
次に「巾取り」という道具でひごの幅を揃えます。

【8】 面取り

小刀でひごの角をとり、ひごの仕上げ加工を行います。

◆編組から仕上げへ

次に、ひごを編上げる「編組(へんそ)」に移ります。
別府竹細工の伝統的技法を凝縮した最も重要な工程になります。
ここでは別府竹細工の代表的な製品である花籠の工程をご紹介します。

【9】 底編み

基本的に花籠の場合は、底から編んでいきます。

【10】 腰立ち編み

底から胴へと立体的に編上げるために腰を立ち上げます。

【11】 胴編み

胴立ち編みから自分で決めた形を整えながら編み上げていきます。

【12】 首編み

籠に合わせ少しずつ絞りながら、編んでいきます。

【13】 縁仕上げ

編上げは縁を仕上げて完成します。

【14】 染色仕上げ

皮剥ぎした製品は、仕上げに染色加工を施します。

【15】 艶出し仕上げ

染色された花籠を十分乾燥した後に布を使い磨きます。

【16】 漆塗り仕上げ

生漆による「漆塗り仕上げ」を行います。
朱合漆または生漆による「錆付け仕上げ」を施すこともあります。

出典:JTCO日本伝統文化振興機構

いかがでしたか?

大分県別府市で作られている伝統工芸品、別府竹細工についての特集でした。別府の地で採れた良質なマダケを使用して作られる別府竹細工は、竹の素材そのものの美しさが最大限に生かされている伝統工芸品です。

これまで生み出されてきた編み方は実に200通り以上にものぼり、別府竹細工の職人たちが試行錯誤して色んな編み方を考えていることが伺えます。お土産や仕入れにお勧めです。ぜひ一度お手に取ってみてはいかがでしょうか。

加賀水引

石川県金沢市の伝統工芸品、加賀水引についてご紹介します。雅な雰囲気や優雅さを持つ加賀水引は、立体的なフォルムになるように、伝統的な技術を用い職人によって丁寧に結ばれ仕上げられる美しい工芸品です。

結婚や出産等の御祝いごとの際に贈られるご祝儀の封筒を結ぶための紐は水引と呼ばれ、贈答の場面で大いに活躍しています。今回はそんな加賀水引について特集します。

由来・歴史

水引の始まりについては諸説あり、はっきりとはわかっていませんが、一説によると小野妹子が持ち帰った品物の中に紅白の紐が結ばれていたモノがあったことから始まったとされています。

加賀水引が生まれたのは、大正時代頃だと伝えられています。それ以前から水引の生産は行われており明治後期頃には小笠原流の水引折型が流行っていました。大正4年頃に小笠原流を学んでいた津田左右吉という人物が、試行錯誤して新しい水引を生みだし、加賀水引の創始者となります。

従来の水引はしっかりと折り畳み平坦にする方法によって作られていましたが、津田左右吉は折り目を付けず立体感を取り入れるという新しい表現方法を思いつきます。機転を利かせた発想により、従来の水引が昇華され、金沢を代表する伝統工芸品、加賀水引が生み出され発展していくことになります。

種類

水引の結び方によって込められている意味は異なってきます。

蝶結び

最も一般的な結び方です。ほどいたり結びなおすのが簡単であるため、何度でも繰り返してほしいという想いが込められています。

結び切り

固く結ばれほどけることがないように、離れずにいて欲しいという想いが込められています。

あわじ結び

複雑に絡み合い両端を引っ張るとさらにきつく結ばれ、簡単にはほどけないため、一度きりであるようにといった願いが込められています。

梅結び

複雑な結び方は固い絆を表しています。魔除けの意味合いを持つ梅の形に見えることから無病息災の意味を持ちます。

相生結び

紐を交差させた結び方によって循環を表し、共に生き、共に生きるという意味を持ちます。「相老い」と書くこともあります。

特長

加賀水引の特徴として、発想力のあるアイデアによって生み出された立体的な飾りの美しさ、華やかさや、結び方によって異なる様々な願いや想いが込められている点などがあげられます。

結婚、出産、退院祝いなどお祝いをしたい時やお葬式など不祝儀の際に、封筒の飾り紐として大活躍の加賀水引は、古くから大切な人へ贈り物をする人の想いに寄り添い、人と人との繋がりの手助けをしてきました。

現在も贈り物やご祝儀の飾りとして数々の場面で使用されていることに加え、加賀水引の立体感や華やかさを活かした可愛らしいアクセサリーやおしゃれなインテリア置物が制作されるなど、現代の流行りをおさえつつ、伝統を引き継ぎ続けています。

制作工程

加賀水引の制作工程について、石川の伝統工芸サイトから抜粋してご紹介致します。詳しく知りたい方は石川の伝統工芸の公式サイトをご覧ください。

  1. 水引

  2. 色合わせ

  3. 部分編み

  4. 組み合わせ

  5. 調整

  6. 完成

出典:石川の伝統工芸

いかがでしたか?

石川県金沢市で作られている伝統工芸品、加賀水引についての特集でした。

従来の水引に改良を加え、平面的だった水引に立体感という新しい要素を取り入れ昇華された加賀水引は、お祝いや贈り物をする際の封筒や包みを華やかに彩り、人と人のつながりや、大切な人を想う気持ちを表現し続けています。ご興味のある方はぜひ一度お手に取ってみてはいかがでしょうか。

天草陶磁器

天草陶磁器とは、熊本県天草地方で作られている陶磁器の総称です。天草陶磁器の原料である天草陶石は、自然豊かな天草の地で採掘され陶器づくりに非常に適している珍しい素材であり、日本一の陶石と呼ばれています。今回はそんな天草陶磁器についてご紹介します。

由来・歴史

天草陶磁器の始まりの年月は未だ分かっておりません。九州で最も古い磁器の産地であると言われている天草の地では、今から300年以上も前の1676年に天草島内の内田皿山で磁器が焼かれていたとの記録や、1762年に高浜村に住む上田伝五右衛門という人物が窯を開いたという記録が残っています。

1771年に平賀源内という人物が天草陶石を日本一の陶石であると絶賛し、天草郡代に報告しています。江戸時代、天草の地は幕府の領下だったため、庄屋が各々の村を統治するという体制を敷いていました。天草で採れる陶石を用い、庄屋たちは自分の村を豊かにするため陶磁器づくりに励みました。

それぞれの村が独自の焼き物づくりの技術を引き継ぎ、違う名前をもっているため、これらを総称して天草陶磁器と呼ぶようになりました。窯元は受け継がれていき、現在に至るまで数多くの個性あふれる陶磁器が生み出され続けています。2003年には伝統工芸品に指定され、伝統の技術を守り続けています。

天草陶磁器の種類

天草陶磁器は天草地方でつくられる焼き物の総称であり、様々な種類の個性ある焼き物が存在しています。

内田皿山焼

透明感を感じさせる白磁の製品をはじめ、青磁、素焼きのものまで幅広く生産されており、食器類などが人気です。また、タコつぼの生産量日本一を誇ります。

丸尾焼

丸尾が丘で採れる赤い土を原料に作られており、土の質感が味のある陶磁器です。

水の平焼

海鼠釉で有名な陶磁器です。個性的な絵柄、美しい艶が印象的です。

高浜焼

純度の高い陶石を使用しているため、まばゆい白さを持っており、深い藍色の呉須とのコントラストの美しい陶磁器です。

特長

天草陶磁器の特徴として、日本一と言わしめるほど高品質な天草陶石を原材料として製品が作られていることや、たくさんの種類の窯元でそれぞれ異なった魅力を持つ個性的な陶磁器が作られていることなどが挙げられます。

天草の地には数多くの伝統の技術を継承してきた窯元があり、技術を守りつつも現代の流行のデザインやモダンな作風を取り入れるといった試みもしており、とても見ごたえがあるため全ての窯元を回るのに1日では足りないほどだと言われています。

天草陶磁器の原料である天草陶石は、日本で産出されている陶石のうち約8割もの割合を占めています。そのため、天草陶磁器の原料としてだけではなく有田焼や清水焼などの有名な焼き物に作る際にも使用されています。また、焼き物だけではなく、宇宙船の耐熱材などをはじめ幅広い分野で使用されており、天草陶石が素材として秀でていることが見受けられます。

いかがでしたか?

熊本県天草地方で作られている伝統工芸品、天草陶磁器についての特集でした。日本一の品質を誇る天草陶石から作られる天草陶磁器は、多くの窯元や職人の手によって個性的な作品が数多く生産されています。興味のある方はぜひ一度手に取ってみてはいかがでしょうか。

金沢箔

金沢箔とは、石川県金沢市で作られる伝統工芸品です。職人の技を用いて打ちならされた金箔は大変薄く、金色の輝きが大変きらびやかなことに加え、酸化や変色がしにくい特性を持つことから、幅広い場所や場面で使用されています。今回はそんな金沢箔についてご紹介いたします。

由来・歴史

金沢箔が始まったとされる明確な年月ははっきりとは分かっておりませんが、1593年に前田利家が豊臣秀吉の朝鮮の役の陣中より、国元へ金箔・銀箔の製造を命じたとの記録が残されており、この頃に生産が始まったことが確認できます。1696年に江戸幕府は金銀の統制管理を厳しく取り締まり、金箔や銀箔の製造は江戸と京都の箔屋以外禁止されてしまいます。

1808年に、金沢城の二の丸御殿が火で燃えてしまい再建のために大量の金箔が必要になったため、京都から職人を呼び金箔を作らせたことがきっかけとなり、金沢でも金箔を製造しようという動きが強まります。

1842年に能登屋佐助という人物が江戸で手に入れた箔を金沢へ持ち帰る間に破損した場合の打ち直しの許可を藩に申し入れますが、許可はおりませんでした。そこで、能登屋は次に江戸の箔を金沢で独占販売する許可を申し入れます。幕府から許可が下り、金沢では箔打ちを名目とした工場が建てられ金沢箔は徐々に発展していきます。

明治維新でこれまでの体制が崩壊し、箔の統制がなくなり江戸箔も衰えた結果、金沢箔は更なる発展を繰り広げていくことになります。1977年には伝統工芸品に指定され、現在も屏風や壁紙、仏壇、食器、扇子など幅広い製品が作り出されるなど、人々の生活を支えています。

種類

金沢箔の種類には、以下のようなものがあります。

金沢伝統箔

400年以上の長い歴史を持つ伝統的な金箔です。仏壇や仏具などに良く使用されます。

断切箔

作る上で効率が良く、大量生産ができるというメリットがあります。

銀箔

織物用の銀糸や扇子、壁紙など日用的なものの他に、製薬用としても使用されます。

プラチナ箔

別名白金箔と言います。プラチナを打ち延ばして製品を作ります。

洋箔

銅と亜鉛の合金から作られます。

アルミ箔

アルミを原料として作られています。印刷や装飾などに良く作られています。

特長

金沢箔の特徴として、1万分の1ミリという圧倒的な薄さ、打ち延ばしの技術が挙げられます。2gほどの金を、畳一枚分の大きさと薄さになるまで打ち延ばし続けられる根気と高い技術によって作られています。この薄さによって様々な製品に金箔を装飾することが可能になり、酸化や変色がしづらく、その特性を利用して仏壇、仏具、糸、屏風や内装など様々な製品へと加工されています。

また、日本国内で作られている金箔のうちの98%は金沢で作られており、高い生産量を誇っています。金箔生産の副産物として、なじみ深い美容アイテムであるあぶらとり紙も作ることができます。

近年では、金沢の金箔は若い世代からも人気を集め、金箔入りのスイーツや化粧品などの商品が販売されるようになるなど、進化し続けています。

作り方

金沢箔の作り方について、日本伝統文化振興機構(JTCO)ウェブサイトから抜粋してご紹介致します。詳しく知りたい方は日本伝統文化振興機構(JTCO)の公式サイトをご覧ください。

【1】 金合わせ

溶解炉で純金と純銀、純銅の合金をつくり、流し型に流して成型します。

【2】 延べ金

成型された金合金をロール圧延機にて、約100分の5~6mmの厚さまで圧延します。

【3】 コッペの引入れ

圧延された延金を、約6cm角裁断し、澄打紙に1枚ずつ挟み、袋革で包み、澄打機で打延ばします。

【4】 渡し仕事

次第に大きな澄打紙に移し変え(5回)、約21cm角、厚さ1,000分の1~2mmまで打ち延ばします。

【5】 澄切り

仕上がり澄を、約11もしくは12の小片に切り、仕込み終わった箔打紙に挟み、1,800枚を袋革に包み、パックを作ります。

【6】 打ち前(箔打ち)

袋革に包まれたパックを箔打機にて3分間打ち、15分間熱を冷ます作業を数十回繰り返して、厚さ10,000分の1まで打延ばします。

【7】 箔移し

打ち上がり箔を革板の上で、竹枠にて規格サイズに一枚一枚裁断し、間紙に挟んで箔が仕上がります。

【8】 箔押し

素材の各部分に、漆などの接着剤で一枚一枚丁寧に箔を貼り、華麗な箔製品に仕上げます。

出典:日本伝統文化振興機構(JTCO)

いかがでしたか?

石川県金沢市で作られる伝統工芸品、金沢箔についての特集でした。ごくわずかな量の金から畳一枚分ほども引き伸ばすことのできる高い技術を用い生み出される金沢箔は、様々な製品へ加工され現在も高い人気を誇っています。ご興味のある方は、ぜひ一度お手に取ってみてはいかがでしょうか。

大館曲げわっぱ

大館曲げわっぱとは、秋田県大館市で作られている伝統工芸品です。自然の美しさを思わせる木目の模様や、木本来のあたたかみやぬくもりを感じることができる魅力のある工芸品です。

高品質な秋田杉を使用して作られており、軽いのに丈夫でなおかつ吸水性も高く、弁当箱やおひつとして大活躍の大館曲げわっぱ。今回はそんな曲げわっぱについて特集していきます。

由来・歴史

大館曲げわっぱの歴史は非常に長く、青森で縄文時代に使われていた曲げ物が発見されており、遥か昔から使用されていたことが確認されています。大館曲げわっぱは、きこりが曲げ物を作っていたことから始まったと伝えられています。

17世紀後半になると、大館城主佐竹西家という人物が、住民の貧困を改善させるため下級武士たちに副業として曲げわっぱを作ることを推奨しました。その結果、大館曲げわっぱの産業の一つとして発展していくことになりました。

その後も曲げわっぱの技術は脈々と受け継がれ、高度経済成長期に入ると金属製やプラスチックが一般に広まると、曲げわっぱの需要は減ってしまいましたが、1980年には国の伝統工芸品として指定されました。近年では大館曲げわっぱは再評価される傾向にあり、弁当箱を愛用する人々が増えたりと、再び人気を取り戻しています。

種類

大館曲げわっぱの主な材料

  • スギ
  • ヒノキ
  • ヒバ

接着部分

桜や樺の皮

特長

大館曲げわっぱの特徴は、天然の秋田杉によって作られることで木のぬくもりやあたたかみを感じさせる素朴な美しさ、木のほのかな香り、軽さと丈夫さを兼ねそろえている点などが挙げられます。また、曲げわっぱに使用する木材は吸水性があり、お弁当箱などの製品においてはごはんやおかずが傷みにくいといった利点があります。

お弁当箱につめられたごはんなどの湿度を程よく調整してくれるおかげで時間が経ってもふっくらと柔らかく、べちゃっとしていない美味しいごはんを食べることができます。その他、自然の木目が生み出す美しい木目なども、大館曲げわっぱの大きな特徴の一つと言えます。秋田の地は大変寒く、大館曲げわっぱの原料である秋田杉は、通常よりも長い時間をかけて成長していきます。時間をかけてゆっくりと成長するため、木目が均一になり大館曲げわっぱの材料に最適な材質へと成長していきます。

大館曲げわっぱといえば代表的な商品はおひつや弁当箱などを想像する方が多くいらっしゃるかと思いますが、現代では曲げわっぱのアクセサリーが作られるなど、可愛いデザインの女性向け商品も生み出されており、日々現代のニーズに合わせ変化しています。

作り方

大館曲げわっぱの作り方について、東北の伝統工芸品サイトから抜粋してご紹介致します。詳しく知りたい方は東北の伝統工芸品の公式サイトをご覧ください。

木地造り

曲げに使用する板材は、スギの柾目板とし、仕上げ削りをすること。
「はぎ取り」をする場合は、かんなを用いてすること。
「煮沸」をした後、手作業による「曲げ」をすること。
「つま取り」をする場合は、小刀を用いてすること。
「樺縫い」をする場合は、「目通し錐」を用いてすること。
ふた、底板、取手、脚又は注ぎ口がある場合は、それぞれ、かんな、小刀又はのみを用いて成形すること。

組立て

底板の「仕込み」は、「平底」、「上げ底」又は「しゃくり底」のいずれかによること。
「曲げ輪重ね」は、「鉢巻きかけ」、「帯かけ」又は「重ね合せ」のいずれかによること。
手作業による仕上げ磨きをすること。

塗り

「花塗り」にあっては、柿渋に松煙を混ぜ合わせたものを塗付した後、精製漆を用いる「地塗り」、中塗り及び上塗りをすること。
「しばき塗り」にあっては、「ベンガラしばき」をし、柿渋を用いる「渋塗り」をした後、透漆を用いる上塗りをすること。木地は、スギ、ヒバ若しくはホオ又はこれらと同等の材質を有する用材とすること。
「樺縫い」に使用する樹皮は、サクラの樹皮とすること。のりは、そくいとすること。漆は、天然漆とすること。

出典:東北の伝統的工芸品

いかがでしたか?

秋田県大館市で作られている伝統工芸品、大館曲げわっぱについての特集でした。秋田の美しい自然の恵みによってもたらされた高品質な材質を使用して作られる大館曲げわっぱは、均一な木目の模様や木のほのかな香りなどが楽しめる魅力の多い伝統工芸品です。

興味のある方はぜひ一度お手に取ってみてはいかがでしょうか。

東京アンチモニー工芸品

東京アンチモニー工芸品は、東京で古くから作られてきた伝統工芸品です。アンチモニーはアンチモンと鉛と錫でによる合金を指し、この合金を溶かし加工したものをアンチモニー工芸品と呼びます。

職人の手によって一つ一つ加工が施され、美しい光沢を放ちながら、どことなくレトロな雰囲気のある魅力的な工芸品です。今回はそんな東京アンチモニー工芸品についてご紹介していきます。

由来・歴史

明治維新によって多くの彫刻師や鋳物師が職を失ってしまった結果、武具や金属製造などに移行していきアンチモニー製品の製造へと移行しました。職人の多くは東京に集まり活動していたため、東京アンチモニー工芸品は特産品として一躍有名になりました。

明治期になると組合が設立されたり、富国強兵など国の方針によって外貨の調達および輸出が重要視されるようになり、多くのアンチモニー工芸品が輸出されアンチモニー産業は大きく発展します。第二次世界大戦後にドル高になった際、東京アンチモニー産業はその影響を強く受けてしまったため国内向け産業へとシフトしていき、トロフィーやメダルなどの製造に注力します。

2015年には経済産業大臣に伝統工芸品に指定され、現在もアクセサリーやインテリア小物など、日用品や服飾雑貨として販売されています。

特徴

東京アンチモニー工芸品の特徴は以下のような特徴があります。

  1. 加工し易い柔らかさ
  2. 丁寧に彫られた繊細で美しい模様
  3. 一度に多くの製品を加工できるため低コスト

オルゴールやジュエリーボックスなど、どことなくレトロな雰囲気を感じることのできる美しい製品が数多く生産されています。また、アンチモニーは冷やすと膨張する性質があり、この性質のおかげで型の小さな隅まで埋まることにより、美しく形どられた工芸品が完成されます。

近年では、アンチモニー工芸に含まれる鉛は人体の健康に良くないとされ海外輸出の制限などの措置が取られるようになっていますが、環境に悪影響を及ぼさない鉛を使用した製品の開発が行われています。

作り方

東京アンチモニー工芸品の作り方について、日本の伝統工芸品 総合サイトから抜粋してご紹介致します。詳しく知りたい方は日本の伝統工芸品 総合サイトの公式サイトをご覧ください。

鋳型

まず、木や石膏で作った原型を元にして砂型を作ります。出来上がった砂型に真鍮地金合金を流し込んで金型を作り、その金型を組み合わせて、ようやく鋳型が完成します。鋳型の善し悪しが製品の表面の滑らかさを左右するため、熟練の技が必要な工程です。

鋳型への彫刻

出来上がった鋳型に模様を彫り上げる作業は、アンチモニー工芸品の全行程の中でも最も熟練を要する作業です。模様を反対に彫り込めるように図柄を写し取り、魚子紋様などの繊細な模様を彫り込みます。

鋳造加工

鋳造方法には、焼き吹き、戻し吹き、冷吹き、地金吹きの4つがあります。

焼き吹き

300℃~350℃の炉の中で、地金が溶けて流れるまで鋳型を熱し、湯を注ぎ込みながら徐々に水で冷やしていく、最もメジャーな鋳造方法です。鋳型を水に浸して、鋳型内の温度を職人の勘で下げつつ、鋳型を傾ける角度により湯の流れと空気抜けの微妙な調子をとる技は、まさに職人芸です。

戻し吹き

湯を型の湯口より注ぎ込み、10~15秒後に型を逆さにして中の湯を外に空けることによって、型の内側に湯を貼り付けて成形する方法です。内部が空洞でザラ肌が残るため、置物や内張りを施す宝石箱などの製品に用いられます。

冷吹き

焼き吹きの水冷をしない簡単な方法です。小さな製品向けです。

地金吹き

溶解してある地金の上に型を浮かせて熱する方法です。こちらも小さな製品の鋳造に向いています。

まとめ加工

鋳造された製品は「まとめ屋さん」と呼ばれる職人によって、仕上げ加工が施されます。キサゲやヒッカキと呼ばれる道具を用いて、金型の合わせ目が目で見ても判別がつかなくなるまで製品を丁寧に仕上げ、まとめ上げて行きます。

研磨

次のメッキ加工に移る前に、製品の表面をしっかりと研磨します。研磨が十分に施されているかが、メッキの善し悪しを左右します。

メッキ

製品によって金、銀、銅のメッキ加工を施しますが、下地としてまず銅メッキが必ず施されます。下地の銅メッキの上に着色をして、錆止めのエナメルを塗装する場合もあります。

塗装

メッキ加工後、錆を防止するために透明な塗装を施して完成です。

出典:日本の伝統工芸品 総合サイト

お土産や仕入にいかがですか?

東京を中心に作られている伝統工芸品、東京アンチモニー工芸品についてのご紹介でした。アンチモンと鉛と錫を混ぜた合金により、柔らかさと冷やすと膨張する特性を利用して作られる繊細で美しい模様の東京アンチモニー工芸品は、アクセサリーやオルゴール、小物入れなど様々な製品に加工され人々の生活の中に溶け込んでいます。

お土産や仕入れに興味のある方はぜひ一度手に取ってみてはいかがでしょうか。

伊賀焼

伊賀焼は、三重県伊賀市で作られている伝統工芸品です。耐久性に優れた粘土を使用し作られる伊賀焼は、土や自然の風合いを感じさせる焼き物です。壺や花器をはじめ、土鍋やコーヒーカップなど日用使いできる製品も多く作られており、古くから多くの人々に愛用されています。今回はそんな伊賀焼についてご紹介していきます。

由来・歴史

伊賀焼の歴史は今から約1200年ほど前に農民が日用品として焼き物を作り、使用していたことから始まります。1584年に筒井定次という人物が国主となり、筒井伊賀と呼ばれる茶器が生み出されたり、次に国主になった藤堂高虎という人物が藤堂伊賀を生み出したりして、伊賀焼は大いに発展します。

1669年に原材料である陶土の採取が禁止されてしまい、伊賀焼の生産量が落ち込み、徐々に衰退してしまいますが、江戸中期に入ると伊勢国津藩の藩主であった藤堂高嶷という人物の命で瀬戸の陶工から技術を持ち帰り、再び日用品が生産されるようになり、伊賀焼は復興を遂げます。

その後、1982年になると伊賀焼は国から伝統工芸品として指定され、現在も人々の生活を支える日用品として支持されています。

特長

伊賀焼の特徴は、非常に頑丈で火に強い特性を持っていることや、素朴さや自然、材質の質感をそのまま感じさせる特徴的な見た目などが挙げられます。伊賀焼に使用される陶土は熱に強く、土鍋や耐熱食器の制作に向いています。

高温で繰り返し焼き上げられることにより、器が引き締まり非常に耐久性の高い製品が生み出されます。また、伊賀焼は信楽焼と似ているため度々比較されますが、「伊賀に耳あり、信楽に耳なし」とよく謳われるように耳と呼ばれる持ち手が付いているか付いていないか、という違いがあります。

また、伊賀焼はガラスのようなビードロと呼ばれる美しい天釉も特徴的なものです。薪から出る灰が高温で溶かされることによってガラスのようになり、天釉が生まれます。伊賀焼は、伝統的な茶器や花瓶、壺などの製品以外にも、土鍋や耐熱性マグカップなどニーズが高い製品も販売されており、日常で使用するのにぴったりな伝統工芸品です。

作り方

伊賀焼の作り方について、JTCO日本伝統文化振興機構ウェブサイトから抜粋してご紹介致します。詳しく知りたい方はJTCO日本伝統文化振興機構の公式サイトをご覧ください。

土練り

粘土を練ってもみます。土を均一にするために「荒練り」と、空気を抜くために、菊の花びらのひだができるように練る「菊揉み」を行います。

成形

『手作り法』、『形成形法』、『ロクロ成形法』の3つの異なった成型方法に分かれます。

半乾燥

空円で、生乾きの状態にします。

仕上げ1

カンナなどを使用して形を整え、絵付けをします。

 完全乾燥と素焼

自然乾燥で、作品から水分を十分になくしたあと、約700℃の窯で焼きます。

仕上げ2

素焼した作品の上に、鉄、コバルト等で絵を描きます。その後、釉薬をかけます。

本焼成

約1,200~1,300℃の窯で焼きます。

完成

窯がさめてから作品を窯出しします。
早く窯から出すと割れる場合があるので、十分に注意します。

出典:JTCO日本伝統文化振興機構

いかがでしたか?

三重県伊賀市で作られている伝統工芸品、伊賀焼についてのご紹介でした。恵まれた環境で採れる高品質な陶土で作られる伊賀焼は、繰り返し焼かれることによって耐久性に優れ火に強く、土鍋や耐熱皿として大変人気の高い魅力のある伝統工芸品です。

興味のある方はぜひお手に取ってみてはいかがでしょうか。

美濃和紙

美濃和紙は、岐阜県で作られている伝統的な和紙です。岐阜県は自然にあふれ、和紙を作る適切な環境が整っています。高知の土佐和紙、福井の越前和紙と並び、日本三大和紙の一つに数えられています。薄いけれど破れにくく、見た目も美しい美濃和紙。今回はそんな美濃和紙をご紹介いたします。

由来・歴史

美濃和紙は今から約1300年以上前、まだ岐阜の土地が美濃の国と呼ばれていた頃、その土地で作られていた紙が、現在の美濃紙の基礎となりました。美濃の国では、紙の原料に最適な楮や三椏、雁皮、水が豊富に採れることもあり、質の高い和紙を作ることができました。

当時の美濃の行政官が美濃和紙を手厚く保護し、開催される市や商人のおかげで美濃和紙は全国に行き渡るようになります。江戸時代になると、美濃の上有知港という川湊が栄え、経済の中心地となりました。江戸幕府や藩も美濃和紙を好んで使用するほど需要が高く、大変人気がある工芸品でした。

明治時代になると紙漉き業に携わるために必要な免許制度がなくなり、紙産業をはじめる人々が増加しましたが、技術革新や戦争などの影響により1000人以上いた職人は100にも満たないほど減少してしまいました。

しかし、美濃和紙の協同組合が設立されたり1985年に経済産業大臣から国の伝統工芸品指定されるなどして、美濃和紙は復興していきます。現在では、美濃和紙を使用したインテリアやアート、展覧会が開催されたりして、再び注目を集めるようになっています。

種類

美濃和紙は大きく分けて3つの種類があります。

  1. 本美濃紙
  2. 美濃手漉き和紙
  3. 美濃機械すき和紙

特長

美濃和紙の特徴は、手漉きでつくることによって得られる耐久性の高さ、他の紙と比べたときの黄ばみにくさなどが挙げられます。美濃和紙は薄く頑丈で、ムラがなく美しい高品質の和紙です。

高知の土佐和紙、福井の越前和紙とともに日本三大和紙と呼ばれていることからも、美濃和紙が最高峰の和紙であることが伺えます。また、通常の紙は使用するにつれて黄ばみますが、長く使用するほどにより白くなる利点があります。

現在は多岐にわたる現代のニーズにあわせた製品が数多く販売されたり、アート展が開催されるなどして再び人気が高まってきています。

作り方

美濃和紙の作り方について、美濃和紙の里会館のウェブサイトから抜粋してご紹介致します。詳しく知りたい方は美濃和紙の里会館公式サイトをご覧ください。

剥皮(はくひ)

楮の木の皮をむいて白い皮にします。

さらし

原料を水に浸す事によって、水に溶けやすい不純物「あく」を除き原料を柔らかくします。昔は「川晒し」といって、川の流れに2、3日 楮を浸しておきました。最近は作業場に作った水槽で行われることの方が多くなりました。

煮熟(しゃじゅく)

楮の繊維だけを取り出すために、晒された楮を炭酸ソーダを入れた大釜で2時間ほど煮ます。

ちりとり

まだ原料に残っている黒皮などのチリ、変色した部分などを、流水の中、丹念に手作業で取り除いていきます。

叩解(こうかい)

ちりを取り終わった原料を、石の板の上に置き、木槌で叩いてほぐします。途中何度か返して十分ほど叩解します。現在では、この作業は『ビーター』という機械で行われることも多くなりました。

紙すき

原料と『ねべし』と呼ばれるトロロアオイの根から抽出した液を、漉舟(すきぶね)に張った水の中に入れてよく混ぜ合わせます。次に、簀桁(すけた)という道具を使って漉舟(すきぶね)の中の液をすくい、揺ります。

圧搾(あっさく)

すき上げた紙に圧力をかけて水分を搾ります。1日間、時間をかけながら徐々に強く絞っていきます。

乾燥

一枚ずつはがした紙を特製の刷毛を使って板に貼り付け、天日で乾かします。今では、中にお湯を循環させる金属製乾燥機に貼り付けて乾かすこともあります。

選別

こうして出来上がった紙は、一枚一枚丹念に手にとって検品します。紙を光に透かして、破損、傷、チリなどの不純物があるものや斑のあるものを除き、紙の厚みも考慮して丹念に選別します。

裁断

選別した紙を特製の包丁で、用途に合ったサイズに裁断します。原料から、紙になるまで、大体10日かかります。また、原木から取れる原料の料は、約8%、紙になるのはその半分といわれるので、100キロの楮の原木から出来る美濃和紙はわずか4キログラムほどということになります。

出典:美濃和紙の里会館

いかがでしたか?

岐阜県で作られている伝統的な和紙、美濃和紙についてのご紹介でした。薄く頑丈でムラがなく美しい高品質の美濃和紙は、インテリアやランプなどモダンな製品が作られたり展覧会が開かれるなど、近年再び注目を集めている伝統工芸品です。興味のある方はぜひ一度お手に取ってみてはいかがでしょうか。