ヨーロッパの街並みといえば、歴史を感じさせる古い街並みですよね。
日本の伝統的な建築物と違い、ヨーロッパの建築では石やレンガといった硬く重量感のある素材が使われてきました。また、時代によって、その建築様式は異なり、独特の表情を見せてくれます。
今日は「建築博物館」とも言われるチェコの首都、プラハの建築をぶらぶらと眺めてみましょう。
なぜプラハが建築博物館と呼ばれているの?
なぜプラハが建築博物館なのかというと、一言でいうと「ヨーロッパの様々な時代の建築様式の建物がすべて残っている」とされているからです。
プラハは古くより交通の要所でもあり、群雄割拠の中部ヨーロッパの都市のなかでも経済・学問・芸術とともに有名な街で、特に14世紀には神聖ローマ帝国の首都として栄えました。
しかし、長い歴史の中では、オーストリアのハプスブルグ家に支配されたり、ナチス・ドイツに併合されたり、また第二次大戦後は共産党政治に翻弄される時代を経てきています。そう、プラハは多民族からの侵略の歴史に翻弄されてきた街でもあります。
共産党の一党独裁政治が終わった後、1993年に現在のチェコ共和国になり、もともとの王都プラハとしての輝きとともに、数々の歴史を感じさせる建築物が見直されるようになってきました。
また、古い建築様式の建物に、新しい様式を取り入れて増築・改築を繰り返したことで、数百年を経て複数の建築様式が組み合わさった個性的な建物が多く、またそれらの建築技術が非常に高かったことから、他の都市には無い、独特の景観を作り出しているとされています。
時代順にプラハの街をたどってみよう☆
そんな多彩なプラハの建築を時代順に一緒に見ていきましょう。
1.ロマネスク様式(10世紀後半〜13世紀)
ロマネスク様式の大きな特徴は、石づくり。ロマネスク様式は、それまで様式が地方によってバラバラだったヨーロッパではじめて統一された建築様式とされています。初期のロマネスク様式は木造の平天井だったのが、中でもヴォールト天井と呼ばれるアーチ型の半球の天井が特徴的で、その重みを支えるために壁が分厚く厚みが1mほど。堅牢でがっしりとしたデザインです。
プラハのロマネスク様式といえば、プラハ最古の教会、聖イジー教会(St. George’s Basilica)。
プラハ城の中にある聖堂。もともとは木造の教会でしたが、火災の後、1142年に石づくりの初期ロマネスク様式に改築されました。(その後、正面は17世紀に初期バロック様式で増築されています)
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/聖イジー聖堂#/media/File:Prague_Castle_St_George.JPG
2.ゴシック様式(12世紀中頃〜15世紀末)
その後、プラハにはドイツ人の人口が増え、ゴシック様式と言われる建築が増えてきました。ゴシック様式はロマネスク様式に比べると繊細な印象です。ロマネスク様式のどっしりとしたヴォールト天井に骨組みを足して、見た目が軽やかなリブヴォールト天井や飛梁のおかげで壁の厚みも薄くなり、ロマネスク様式よりも高い天井と大きな窓を取り入れられるようになりました。
高い天井と大きな窓といえば、尖塔と呼ばれる背の高い塔や鮮やかで華やかなステンドグラスが有名ですよね。
プラハのゴシック様式の代表的な建築は、聖ヴィート大聖堂(St. Vitus Cathedral)。
こちらはもともとロマネスク建築だったものを、カレル4世の命令でロマネスクからゴシック様式へとリフォームされました。
完成までに600年もかかったため、その後のルネッサンスやネオゴシックの要素も混じった、不思議な建築物です。
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/聖ヴィート大聖堂#/media/File:Interior_of_St._Vitus_Cathedral_Prague_01.jpg
3.ルネッサンス様式(15世紀〜16世紀初頭)
ルネッサンスというのはイタリアからヨーロッパ全土に広がった、ギリシア・ローマ時代への「古典回帰」の文化的な運動のことで、ルネッサンスは建築様式にも大きな影響を与えました。建築では曲線を用いた、シンプルながら華やかなデザインが特徴です。
当時プラハを支配していたハプスブルク家とカトリック教会によって、プラハではルネッサンス様式の建築や装飾が多く生まれました。
一分の家(The Minute House)
出典:https://www.prague.eu/en/object/places/1736/the-house-at-the-minute
4.バロック様式(17世紀〜18世紀中頃)
バロック様式は、ローマで生まれフランスで開花した建築様式です。楕円や曲線を多用した、優美で派手な装飾が特徴。
プロテスタントの宗教改革がローマ・カトリックによって下火となり、再びカトリック勢力が力を拡大するために華美なドラマチックなバロック装飾の教会が多く建てられた時代です。
この時期、公の場でチェコ語を話したりチェコ人の民族文化は禁止された暗黒の時代。プラハ市内の建物の多くはチェコ人のそれまでの文化を否定するかのようにバロック様式に建て替えられたのでした。
そんな悲しい記憶ともいうべきバロック様式の代表的な建築は、聖ミクラーシュ教会(Saint Nicolas Church)。
出典:https://www.svmikulas.cz/en/
5.アール・ヌーヴォー様式(19世紀末〜20世紀初頭)
アール・ヌーヴォーは、フランスで発祥した装飾美術のこと。ボタニカルな花やつる草などの流れる曲線を意識した、優美で官能的な装飾で、厳密にいうと建築の構造様式ではありません。
ところでアール・ヌーヴォー様式ときいて、ピンときたあなた、鋭いですね。
アール・ヌーヴォーといえば、アルフォンス・ミュシャ。パリの地下鉄やポスターなどで見かけるミュシャのアール・ヌーヴォーですが、ミュシャはチェコ人です。プラハの聖ヴィート大聖堂や市民会館には、ミュシャのステンドグラスの作品が残されています。
市民会館(Municipal House)
ミュシャが市長の間の内装を担当しています。華やかな内装を見にいきましょう。
6.キュビズム様式(1911年〜1925年)
キュビズムといえば、ピカソの絵画で有名ですが、実は、キュビズムが建築に取り入れられたのはチェコだけなんだそうです。
とはいっても、キュビズムというのはもともと平面上に描く絵画をさまざまな角度からとらえ多面的に描くという意味なので、そもそも立体的な建築では成立せず、あくまでキュビズムの要素(多面体のようなデザインをディテールとしたデザイン)を建築に取り入れた、かなり独特で個性的な様式です。
実はこのキュビズムの時代、プラハには大きな変化がありました。
第一次世界大戦が終わった1918年に、長いこと他国に支配されていたチェコがようやく悲願の独立を果たし、プラハはチェコスロバキア共和国の首都として復活した時期でもあります。
当時、世界の建築シーンでは機能主義・合理主義をテーマにしたモダニズム建築が主流になっていましたが、プラハには似合わないとした前衛的な建築家たちの試みによってキュビズム様式を生み出されたんですね。
写真は、インターコンチネンタルホテルプラハの隣にある、キュービストハウス(Cubist houses)。
出典:https://livingprague.com/architecture-design/prague-cubism-architecture/
7.現代建築(20世紀後半〜)
1939年にドイツの侵略によって国を解体され、第二次世界大戦でドイツが負けたことによって再び独立したチェコスロバキア共和国。しかし、ソ連の圧力にかかった共産党主義時代が50年ほど続き、プラハはチェコスロバキア社会主義共和国の首都になりました。
無機質、華美な装飾を禁じた共産党時代の建物もプラハには残っていますが、歴史的な建物の多いプラハでは否定的な意見の方が多いようです。
1989年のビロード革命により共産党支配を倒して民主化に成功し、スロバキアと別れてチェコ共和国として独立。
プラハでは、「チェコらしさ」「プラハらしさ」「今らしさ」を求めて、今なおインパクトに残る美しく斬新な建築が生まれています。
写真は、1996年に建てられた、ダンシングハウス(Dancing House)。
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/ダンシング・ハウス_(プラハ)#/media/File:Prag_ginger_u_fred_gehry.jpg
いかがでしたか。
街並みに歴史あり。いろんな時代を経ての今のプラハになったことが建物からも見て取れますよね。唯一無二の建築都市、プラハをぜひ見にいきましょ。
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Writer: Nobuyo Kobayashi
DESINGERS’ FRIDGE Official Partner