有田焼・伊万里焼

有田焼・伊万里焼とは、佐賀県の有田町周辺で生産される磁器のことです。日本ではじめて作られたと言われている大変貴重な磁器であり、現在では佐賀県有田市で生産されるものを有田焼、佐賀県伊万里市で生産されるものを伊万里焼と呼びます。

なめらかな磁器の表面は絵柄をつけるのに大変役に立ち、色鮮やかで豪華絢爛という言葉が似あう磁器が職人の手によって生産されてきました。今回はそんな磁器、有田焼・伊万里焼についてご紹介します。

由来・歴史

1616年に朝鮮から日本に来た陶工が、佐賀県の有田の泉山で上質な磁器の材料が手に入ることを発見し、有田焼・伊万里焼の生産が始まりました。17世紀ごろには海外へも輸出され、当時のヨーロッパではまだ磁器を生産する技術がなかったこともあり大変人気を博していました。とりわけ、ヨーロッパの貴族は有田焼・伊万里焼に深く魅了され、この磁器と同じものを生産できるようにと国王の要望によってはじまったと言われているのが、ヨーロッパを代表する陶磁器ブランドのマイセンです。

1647年に、柿右衛門という人物が中国の高度な色絵技術を学び、紆余曲折を経て長崎で完成品の販売を開始しました。こうして有田焼の技術はより高度なものへと変化していきました。その後、ヨーロッパで内乱や戦争が起きたり中国が禁止していた輸出を再開したことなどの影響から、有田焼の生産の方向性は日本の市場へと向いていくようになりました。

最初は富裕層向けに生産されてはいたものの、江戸時代に料理屋や茶屋などの増加から庶民の間でも使用される日用的な器となりました。その後は明治維新やパリ万博などで再び市場を世界へと広げていき、今日の大変人気の高い、人々から愛用される陶磁器であり続けています。

種類と特徴

日本だけでなく世界からも愛され、盛んに輸出されていた有田焼・伊万里焼。繊細でなめらかな触り心地の陶磁器は、多くの人々を魅了しました。時代の変化や技術革新、職人によって様々な種類の有田焼・伊万里焼が生産されていました。現代においても、有田焼・伊万里焼は軽く持ち運びしやすいため、日用の食器としての使用がおすすめです。

古伊万里様式

赤や金といった色合いの高級感あふれるデザインが特徴。江戸期に生産されていた。かつて伊万里港から輸出されていたことからこう名付けられている。

鍋島様式

他の種類の模様とは異なり、淡い青色が使用されているのが印象的で、規則正しい紋様が描かれている格式高いデザインが特徴。大名への献上を目的として生産されていた。

柿右衛門様式

酒井田柿右衛門が発案し、赤や青、緑といった鮮やかな色彩と繊細なタッチで描かれた自然や花、動物といったモチーフが特徴。和の雰囲気や絵付けの技術が高く、海外からの人気が高かった。

作り方

有田焼・伊万里焼の作り方について、有田観光ウェブサイトから抜粋してご紹介致します。詳しく知りたい方は有田観光ウェブサイトをご覧ください。

成形

陶土で形を作る工程です。大きく分けて、ろくろ成形と鋳込み成形の2種類があります。

素焼き

成形し乾燥させた素地をおよそ900度の低い温度で焼きます。これによって、本焼成の際に収縮率が大きくなって割れるのを防いだり、絵付けがしやすくなります。

下絵付け(線書きと濃み)

「呉須」という、焼くと藍色に発色する絵の具で絵付けをします。文様の線を描くことを「線描き」、線の中を塗ることを「濃み」と言います。

施釉

「釉薬」をかけます。「釉薬」は白っぽい液体なので、呉須で描いた下絵はいったん見えなくなりますが、焼くと透明のガラス質になるので、肌につやが出て文様が浮かび上がります。また、水を通さなくなり、汚れにくくなります。

本焼成

薪やガスなどの燃料を使い1300度ほどの高温で焼き上げます。呉須のみで加飾された「染付け」と呼ばれる製品は、この本焼成の工程で完成となります。

上絵付け

本焼成が終わった製品に赤・緑・黄・金など、藍色以外の絵の具を釉薬のガラス質の上に施す作業です。白磁に上絵付したものを「赤絵」、染付け(下絵付け)したものに上絵付したものを「染錦」と言います。

上絵焼成

赤絵付で施した絵具の定着させるために、上絵窯(赤絵窯)という上絵を焼き付ける専用の窯で700〜800度の低温度で焼きます。

完成

完成した作品は、成形直後の素地よりも15%ほど縮みます。

出典:有田観光ウェブサイト

いかがでしたか?

400年以上もの歴史を持つ有田焼・伊万里焼は、現在も様々な職人によって伝統的なデザインのものや、モダンな要素を加えたりアレンジされたアクセントのある商品がつくられ、販売されています。少しでも興味を持たれた方がいれば、ぜひ購入してみることをお勧めします。