常滑焼

「日本六古窯」の中でも一番長い歴史を持つ常滑焼は、愛知県常滑市で作られる焼き物であり、長い歴史を持つ稀有な陶磁器です。

朱泥という赤い土を使用して作られるため、独特の赤味のある色合いに焼きあがります。経済産業省大臣によって伝統工芸品として、平成29年には日本遺産として指定されています。今回はそんな常滑焼についてご紹介します。

由来・歴史

弥生時代から奈良時代にかけて、日本では土器づくりが盛んに行われていました。五世紀頃になると、中国から窯の技術が伝わり、より強固な焼き物を焼くことができるようになりました。

その後、常滑の広い範囲に穴窯が開かれ、皿や茶わんなどの日用品が作られるようになりました。中世の常滑焼は大きな壺など大型の製品を多く生産していました。常滑焼といえば急須が有名ですが、江戸時代に入った頃、煎茶の文化が流行しはじめ、常滑でもたくさんの急須などの茶道具が生産されました。

安政元年に杉江寿門という人物が、現在の常滑焼に近い朱泥を使用した急須を生み出しました。明治時代以降、時代の流れに合わせ常滑焼は土管やレンガとしても生産され始め、全国で使用されるようになります。

特長

常滑焼は、製作に必要不可欠の材料である朱泥の中に酸化鉄を多く含んでいるため、お茶のタンニンと反応し合い、味がまろやかになっておいしいお茶を楽しむことができる特徴があります。

また、この朱泥は常滑焼の焼きあがり方にも大きな影響を及ぼしています。通常の陶磁器に使用される陶土は鉄分が多く含まれていると扱いづらいとされていましたが、常滑焼はその性質を利用し赤褐色の綺麗な焼き物を作り出しました。

朱泥は水に強く、急須の素材にとても向いていることもあり、常滑焼の代表的な製品として、急須があります。他にも、前述の通り日本六古窯の中でも最も古い歴史を持っていることや、レンガやタイルなど食器や日用品いがいの常滑焼も作られていることなども、常滑焼の大きな特徴です。

作り方

常滑焼の作り方について、愛知の地場産業のウェブサイトから抜粋してご紹介致します。詳しく知りたい方は愛知の地場産業公式サイトをご覧ください。

ろくろ成形、押型成形または手ひねり成形により成形した後、加飾(かしょく)、施釉(せゆう)を経て焼成します。無釉製品の場合は常滑焼独自の素地磨きを行い、焼成後、羽毛で磨きをかけ、艶を出して完成します。

出典:愛知の地場産業

いかがでしたか?

愛知県常滑市で作られる焼き物、常滑焼についてのご紹介でした。「日本六古窯」の中でも一番長い歴史を持つ常滑焼は、赤褐色の色合いやなめらかな手触り、丈夫で割れにくいなど利点を多く持つ伝統工芸品です。ぜひ一度お手に取ってみてはいかがでしょうか。

有松・鳴海絞り

有松・鳴海絞りは、愛知県名古屋市有松、鳴海地区でつくられている伝統工芸品です。江戸時代から続く有松絞り・鳴海絞りの歴史は長く、数々の絞り方が生み出されおり、様々な種類の模様を楽しむことができます。絞りの生地特有の少しでこぼことした肌触りにより、肌に布がくっつきすぎることがないため、夏を快適に過ごすことができるメリットがあります。今回はそんな有松・鳴海絞りについてご紹介致します。

由来・歴史

有松・鳴海絞りは、江戸時代に有松の地に移住した竹田庄九郎が、大分から名古屋城の建設を手伝いに来ていた人が持っていた手ぬぐいの柄からインスピレーションを得て、新しい絞りの方法を編み出しことが有松・鳴海絞りの根底にあります。

竹田庄九郎の出身地である知多産の木綿を絞り染めをし、東海道を通る旅人に販売していました。その人気ぶりは大変なもので、尾張藩が藩の特産品として保護をするほどでした。その結果、有松・鳴海絞りはますます発展していきます。

種類

有松・鳴海絞りの絞り方及び模様には、たくさんの種類があります。

雪花絞り

染めた模様が雪の結晶のようにみえることから名づけられました。

鹿の子絞り

古来より鹿は神の遣いと信じられており、鹿の背中の斑点模様に似ている鹿の子絞りは厄除けとして重宝されていました。布を小さくつまんで絞るという方法で模様を付けているため、とても繊細で手間がかかるため、技術力を要する技法です。

手蜘蛛絞り

まるで蜘蛛の巣のようにみえることから名づけられました。職人の高い技術によってひとつひとつ蜘蛛の巣の模様が均一に絞られていきます。

三浦絞り

有松・鳴海絞りの代表的な絞り方のうちの一つであり、大分から有松の地に移り住んだ三浦玄忠という医者の奥さんがこの技法を有松の人々に伝えたことからこう名付けられました。

嵐絞り

斜めに入った細く鋭い線が印象的で、まるで嵐の雨のようにみえる絞り方です。

特長

有松・鳴海絞りの特徴は、多彩な絞り方による模様の種類の多さ、職人による手作業で絞られ完成される繊細でやさしさ溢れる布地の美しさ、絞り特有のでこぼことした立体的な独特の触り心地などが挙げられます。

有松・鳴海絞りの絞り方は100種類以上もあったと伝えられており、現在でも約70種類もの絞り方が伝承されています。現在は伝統的な浴衣や手ぬぐいなどの製品に加え、ネクタイやエコバッグなどニーズにあわせた普段使いしやすい商品も生産されています。

作り方

有松・鳴海絞りの作り方について、有松・鳴海絞会館のウェブサイトから抜粋してご紹介致します。詳しく知りたい方は有松・鳴海絞会館公式サイトをご覧ください。

型彫り

図案が決定したら、よく切れる小刀やハト目抜きで、模様を切り抜いたり、穴をあけて型紙を作ります。

絵刷り

出来上がった型紙を布の上に置き、刷毛で青花の模様を刷り込んで写します。青花は露草(栽培用)の色素を酸で抽出し、和紙に浸み込ませて乾燥させたもので、必要に応じて小さく切り、小皿に置き少量の水で溶いて使います。

くくり

通常4~5人の家庭へ次々と廻されて、加工されます。技法により様々な加工方法及び道具が異なります。写真は筋絞りの加工。代表的な道具では、烏口台・鹿の子台・巻き上げ台などがあります。

染色

専業の染屋によって各種の染色が行われます。絞り染めの染色は、一般に浸染めで行われますが、特殊な染め方をする場合もあります。染液は、用布に適した染料、助剤などを使用してつくる。また用途や量によっても染料が違い。染方が変わってきます。

糸抜き

絞り染めは糸を締めることによって防染をするので、とくに堅く糸留めをしています。糸抜きの際は、布の破損に注意し、手早く行う。絞りの種類によって糸抜き法も異なりますが、大体四つに分けられます。1反に3~4日を要するものも有ります。

仕上げ

反物として巻かれる仕上げと、仮縫いして図柄のわかる絵羽仕上げがあります。

出典:有松・鳴海絞会館

いかがでしたか?

愛知県名古屋市有松、鳴海地区でつくられている伝統工芸品、有松・鳴海絞りについてのご紹介でした。江戸時代から続く伝統を受け継いできた長い歴史の中、100種類以上もの絞り方が存在していた有松・鳴海絞りは、手作業で絞られ丁寧に作られることによって、繊細さや優しさ、あたたかみを感じさせる魅力的な伝統工芸品です。ご興味のある方はぜひお手に取ってみてはいかがでしょうか。

九谷焼

九谷焼は、主に石川県加賀市で作られている陶磁器です。とても豪華で美しい絵付けが施されている、高級感漂う伝統工芸品です。大胆で派手な赤、黄色、緑、紺など鮮やかな色彩・絵柄の製品が多く、動物や植物など花鳥風月のモチーフが描かれています。今回はそんな九谷焼についてご紹介致します。

由来・歴史

九谷焼の歴史のはじまりは、江戸時代までさかのぼります。大聖寺藩の初代藩主である前田利治が、後藤才次郎に命じて有田で陶器の技術を身につけさせ、作られた陶器が現在の九谷焼のもとになっています。久谷村で陶石が発見されたことにより、九谷焼と名づけられました。

後藤才次郎の窯は、理由もはっきりしないままわずか50年ほどで閉鎖されてしまいます。この時期に製造された陶器は古九谷と呼ばれ、現在も多くのファンの心を惹きつけています。

それから100年程経った後、加賀藩がはたらきかけ、再び九谷焼が作られるようになりました。これにより数々の窯元が開かれ、様々な絵柄が考案されるなど、九谷焼は復興を果たし、再度発展していくことになります。

昨今では、若い人々向けに現代風の絵付けやデザインがなされた製品の制作もされるなど、幅広い年齢層から支持を得ています。

種類

古久谷風

呉須と五彩を用い、植物や動物などの絵付けがしてある。

飯田屋風

赤の絵付けが印象的な緻密描法によって描かれ、唐人をモチーフに描かれることが多い。

吉田屋風

緑や黄色が印象的な四彩の色合いが印象的な作風で、緻密に描かれた模様が印象的な技法。

木米風

京都の文人画家・青木木米という人物が考案した技法で、赤色を下地として上に五彩の色付けをする。中国風の人物などがモチーフとして描かれることが多い。

庄三風

中国風の赤や永楽風の金襴手などの伝統的な技法を取り入れている豪華な技法。

永楽風

金色の上に赤色を全体に塗り込み、その上に金で模様を書き込む。豪華で派手な見た目が特徴。

特長

九谷焼の特徴として、赤、青、黄、緑、青の五色の鮮やかな色彩を用い表現される人物や花鳥風月の美しい絵付け、数多くの伝統的な技法が存在していることなどが挙げられます。

職人の手によって施される豪華絢爛な花や植物、人などの絵付けは大変美しく、根強い人気を誇る伝統工芸品です。また、九谷焼は伝統的な技法によって作られるもの以外にモダンなデザインや型を採用し、現代のニーズにあった製品を生み出し続けており、現在も発展し続けています。

作り方

九谷焼の作り方について、加賀久谷陶磁器協同組合ウェブサイトから抜粋してご紹介致します。詳しく知りたい方は加賀久谷陶磁器協同組合の公式サイトをご覧ください。

成形

陶石を粘土状にしたものを、ロクロや型を用いて器などの形状に成形します。数日乾燥させて半乾きの状態になったら、器の高台(底)や縁仕上げなど細かい削りの仕上げをします。

素焼き

素焼き窯に入れ、800℃前後で軽く焼き固めることで、器の強度が増し、後の作業が行いやすくなります。江戸前期の古九谷の時代は素焼きをしていなかったといわれます。

下絵付け(染付)

釉薬をかける前の素焼きの器に柄模様を描くことを「下絵付け」といいます。下絵付けの技法の一つである「染付(そめつけ)」は、「呉須(ごす)」というコバルトを含んだ顔料を用いて描かれます。

釉薬がけ

器の表面に均一に釉薬をかけます。釉薬は珪石や長石、石灰などを水に溶かしたものです。焼くとガラス質の膜となって陶磁器の表面を覆い、水分や汚れを吸収しにくくなるほか、美しい光沢がつきます。

本焼き

約1300℃の高温で焼くと、器と釉薬がガラス化して磁器になります。器は硬く焼き締まり、地肌は白く、釉薬は透明になります。この状態のものを「白素地(しらきじ)」といい、かつては登り窯で焼かれました。また、下絵をつけた作品には、透明になった釉薬の下から藍色に発色した呉須の絵模様が現れます。

上絵付け

焼き上がった白素地の上に絵をつけることを「上絵付け」といいます。上絵用の呉須で輪郭線を描き、その上に赤、紺青、緑、黄、紫の和絵具(色釉)を盛るように配色します。和絵具は焼き物の絵付けに欠かせないもので、ガラスの粉に着色剤として鉄や銅、マンガンなどの金属を混ぜて作ります。焼く前と後では違う色になり、焼くと透明感のあるガラス質に変わります。和絵具は厚く盛り上げるほど濃い色になります。

錦窯

錦窯に入れ、やや低温の800℃前後で焼くと、和絵具が溶けて美しい色のガラス質になり、磁器の表面に焼き付きます。金や銀の絵模様を描くときは、この後に描き加え、少し低い温度でもう一度錦窯で焼きます。

こうして九谷焼の焼成は、染付のように下絵のみで終わらせる作品でも2回、上絵を描く場合は3回、金や銀を使う場合は4回も焼き上げてようやく完成します。

出典:加賀久谷陶磁器協同組合

いかがでしたか?

九石川県加賀市で作られている伝統的な陶磁器、九谷焼についてのご紹介でした。

伝統的な技法を用い赤、青、黄、緑、青の五色の鮮やかな色彩を用い表現される美しい絵付けはとても豪華で、格式の高さを感じられる工芸品です。興味のある方はぜひお手に取ってみてはいかがでしょうか。

駿河竹千筋細工

駿河竹千筋細工は、静岡県で作られている竹細工の伝統工芸品です。駿河の地は竹を育てるのに適した土地であったため、竹細工の文化が根付きました。

竹細工は日本各地で作られていますが、ほとんどが平ひご(竹を編み込む方法)によるものであり、その中でも丸ひごを指して組み立てる方法で制作をしていることは大変珍しく、駿河竹千筋細工の大きな特徴の一つです。今回はそんな竹細工の伝統工芸品、駿河竹千筋細工についてご紹介致します。

由来・歴史

駿河竹千筋細工の歴史はとても古く、弥生時代の登呂遺跡の出土品により竹製のザルなどを使用していた形跡があるため、古来より人々の日用品としてなじみ深いものであったことが伺えます。

江戸時代には、参勤交代で駿河の地に立ち寄った大名や武士、旅行者の間で竹製の笠、かご枕などの製品が大人気で評判が良く、「駿河細工」と呼ばれていました。天保11年に岡崎藩士であった菅沼一我が静岡を訪れ、宿泊していた宿の息子である清水猪兵衛に「丸ひご」の技法を伝えたことにより、今日に続く駿河竹千筋細工の基礎が築かれました。

明治期にはウィーン国際博覧会に出品したことにより外国からも高評価を受け、多くの製品が輸出されることになりました。その後、昭和51年に通産大臣により伝統的工芸品に指定され、現代でもニーズに合わせた魅力的な製品の生産が続いており、人々からの支持を受けています。

種類

主にマダケ、モウソウチクという竹を使用します。

特長

駿河竹千筋細工の特徴として、作り方が他の地域の竹細工とは異なる点があげられます。竹製品は静岡以外の地域でも生産されていますが、他の産地では平ひごを使用していることが多いのに対し、駿河竹千筋細工は丸ひごを使用しています。

あけた穴に一本一本ひごを通し千筋にすることで作品を作り出しています。職人の熟練された技により、竹ひごをしなやかに曲げていき、美しい曲線を生み出します。

また、駿河竹千筋細工の制作は一人の職人が一貫して作業をしており、作業のうち約九割は一人の職人が仕上げます。そのため、一人前の職人になるためには技術を磨くことが必須であり、一人前になるまで長い時間を要すると言われています。

いかがでしたか?

静岡県でつくられている伝統工芸品、駿河竹千筋細工についての特集でした。古来より人々の日用品としてなじみ深いものであった駿河竹千筋細工は、竹の素材を生かしたあたたかみのある工芸品です。

江戸時代からざるや笠、かご枕などの製品として人々の日常を支えてきましたが、現代では風鈴、花器、ランプなど形を変えて今なお人々の生活に寄り添い、愛用されています。

箱根寄木細工

箱根寄木細工は、様々な木材を寄せ合わせ、繋げることで作りあげる伝統工芸品です。江戸時代から続く長い歴史を持った工芸品であり、今日では箱根を立ち寄った際の定番おみやげとして人々の間で定着しています。今回はそんな箱根寄木細工をご紹介致します。

由来・歴史

箱根寄木細工は、江戸時代後期にはじまったと言われており、石川仁兵衛という人物が静岡から寄木細工の技術を学び、箱根に持ち帰ります。江戸時代には東海道が整備されたため箱根を訪れる人々が増え、石川はそのような人に対してのお土産として箱根寄木細工を考案しました。

予てから箱根の地には木を扱うことを生業とする職人が多かった背景もあり、手の込んだ紋様の商品が作られる等の発展をしていきました。ペリーの船が来航した際、職人が箱根細工を熱心に紹介し箱根細工は定番の土産ものとして定着することになりました。

横浜の開港をきっかけに寄木細工は世界へと輸出されるようになり、箱根寄木細工は益々繫栄し発展していきます。その後、日中戦争がはじまる頃に箱根細工は一時衰退していきますが、金指勝悦が新しい技法を考案したことによって再生し始めます。1984年には通商産業大臣から伝統的工芸品として指定され、現在も人々の間で評価されています。

種類

主な寄木細工の模様

麻の葉、亀甲、乱寄木、鱗、市松、七宝矢羽根など

主な寄木細工で使用する木材

欅、桜、エンジュ、神代木、ミズキなど

特長

箱根寄木細工の特徴としては、多種多様でバリエーションに富んだ伝統的な模様や、使用する木材によって色味が違うため、様々な色使いの組み合わせやハーモニーを楽しむことができる点などがあげられます。

寄木細工は、木を寄せ合うことで模様を表現する技法であり、何種類もの木材を使用し100種類を超える模様を生み出すことができます。素材の色味や暖かみをそのまま生かして制作していているため、自然の持つ魅力や持ち味をじかに楽しむことができます。

古き良き伝統の模様が施されたお椀などの食器や、仕掛けの施された定番のからくり箱のほかに、寄木細工のコースターやしおり、フォトフレームなど現代にあわせた作品も制作されています。

作り方

箱根寄木細工の作り方について、日本の伝統工芸品総合サイトから抜粋してご紹介致します。詳しく知りたい方は日本の伝統工芸品総合サイトをご覧ください。

材料の乾燥と選定

まずは作りたい模様に必要な木材を選びます。
乾燥は、作品の加工をしやすくしたり、品質を保つ為には大切な工程です。模様の配色や木目を考えながら選定していきます。

部材木取り

木取りとは本来、丸太の状態から角材を切り出す作業のことを言いますが、ここでは板材から模様となる一部を切り出すことを意味します。

手押しカンナ盤という機械を使い、板材のザラザラと粗い表面をなめらかにした後、自動カンナ盤で厚さを決めて削ります。厚さは工程の最後にペーパーを使って仕上げることを考慮して、+0.1~0.2ミリ厚めにします。出来上がった板は、作りたい模様の配色を考えながら重ねて貼り合わせていきます。

カンナがけ

貼り合わせた板をもとに、模様の基となるパーツを作っていきます。板からパーツの型に合わせて切り出し、さらにそのパーツの一辺の型にはめて、カンナで均一に削り整えていきます。パーツを合わせた時に隙間ができないように、慎重かつ正確さが求められる工程です。

寄木

出来上がったパーツ同士を合わせて接着し、1つの模様を作ります。これを単位模様(たんいもよう)と呼びます。

厚さ揃え

単位模様に、同じ模様や違う模様を寄せ集めてボンドで接着する作業を繰り返すことで、大きな模様が生み出されていきます。この大きな模様ができた板を種板(たねいた)と呼び、この種板をナイロンひもで周りを巻き付け固定し、24時間以上かけてしっかり接着させます。最後に紙やすりで表面をなめらかにします。

加工

種板を作品にするための工程に入ります。ろくろや自作の道具などを使って少しずつ削り形にしていけば完成です。

出典:日本の伝統工芸品総合サイト

いかがでしたか?

旅人が多く訪れる地、箱根の伝統工芸品、箱根寄木細工についての紹介でした。様々な木材を寄せ合わせ、つなげることでつくりあげる寄木細工は、多種多様でバリエーションに富んだ伝統的な模様や木材よって異なる色のハーモニーを楽しむことのできる魅力的な伝統工芸品です。ご興味のある方はぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。

会津本郷焼

会津本郷焼は、福島県会津市で生産されている伝統工芸品です。約400年以上にも続く歴史を持ち、伝統の技術が受け継がれてきました。毎年夏にせと市が開催されるなど、現在も人々の間で愛用され続けている会津本郷焼。今回はそんな会津本郷焼についてご紹介致します。

由来・歴史

会津本郷焼の産地は、東北で最も古い産地だと言われています。今から400年も前の戦国時代に蒲生氏郷公という人物が若松城の屋根瓦を作らせたことから、会津本郷焼の歴史が始まったと伝えられています。

その後、江戸時代に入り、会津藩主である保科正之に招かれた瀬戸出身の陶工・水野源左衛門が本郷村で焼き物づくりに適した土を発見したことにより陶器製造がはじまり、今日の会津本郷焼の基礎を築きました。1800年頃になると、本郷村で大久保陶石が見つかったため、藩は磁器をつくろうと試みます。

磁器の生産で有名な有田に佐藤伊兵衛という人物を送りこみ、磁器づくりの技術を持ち帰らせ、磁器づくりもはじまります。その後も職人たちはそれぞれに窯元を開き、発展していきました。会津本郷では現在も営業している窯元が多数あり、今日に至るまで焼き物がつくられています。

種類

陶器と磁器両方の制作が行われており、これは全国的にみても珍しいことです。窯元や職人によってデザインやスタイルが異なり、手触りや形、色遣いなど、それぞれの個性があります。色付けには飴釉、青磁釉、白磁釉などが使用されています。

また、伝統的なもの以外にも可愛らしい動物などのキャラクターが描かれたものや、カラフルな色遣いのものなど、幅広いラインナップがあり、より多くの人に親しみやすいようになっています。

特長

会津本郷焼の特徴としては、白磁、青磁など様々な材料や異なったスタイルの作品が作られていることや、陶器と磁器の両方を制作している窯元が多数あること、コーヒーカップ、カフェオレボウルなどの製品をはじめ現代のニーズにあわせた製品の生産にも力を入れていることなどがあげられます。

光沢や手触りなども作り手によって異なるため、自分好みのデザインや色使いの製品探しを楽しむことができます。また、会津本郷の地は経済産業長により、1993年に伝統工芸品の産地に指定されています。

現在も窯元がここ一体に集まっているため、散歩がてらここ一体をぐるりと回るのも風情があっておすすめです。焼き物特有の素朴でシンプルな美しさがあり、飽きの来ないデザインの食器などが多く食事の際など空間に彩を添えてくれます。

作り方

会津本郷焼の作り方について、東北経済産業局から抜粋してご紹介致します。詳しく知りたい方は東北経済産業局公式サイトをご覧ください。

成形

次の技術又は技法によること。

  1.  ろくろ成形、手ひねり成形又はたたら成形によること。
  2.  磁器にあっては、(1)に掲げる成形方法によるほか、素地が(1)に掲げる成形方法による場合と同等の性状を有するよう、素地の表面全体の削り成形仕上げ及び水拭き仕上げをする袋流し成形又は「二重流し成形」によること。

素地の模様付け

印花、櫛目、はけ目、イッチン盛り、面とり、はり付け、布目、化粧掛け又は彫りによること。

下絵付け

線描き、つけたて、浸しつけ又はだみによること。この場合において、絵具は、「呉須絵具」、「鉄錆絵具」又は「銅絵具」とすること。

釉掛け

浸し掛け、流し掛け又は塗り掛けによること。 この場合において釉薬は、磁器にあっては、「木灰釉」、「石灰釉」、「青磁釉」、「海鼠釉」、「鉄釉」、「銅釉」、「黄磁釉」又は「金結晶釉」、陶器にあっては、「土灰釉」、「あめ釉」、「白流し釉」、「青流し釉」、「鉄釉」、「銅釉」、「黄磁釉」、「貫入釉」又は「乳白釉」とすること。

上絵付け

線描き、つけたて又はだみによること。

出典:東北経済産業局

いかがでしたか?

福島県会津市で生産されている伝統工芸品、会津本郷焼についての特集でした。400年以上にも続く歴史を持ち、様々なデザインやスタイル、手触りや形、色遣いなどがあり、それぞれの個性にあふれた作品が、職人の手によって作られています。ご興味のある方はぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。

小田原漆器

小田原漆器とは、現在の神奈川県小田原市で作られている、室町時代から続く伝統工芸品です。漆によって艶やかに輝く様子が大変美しく、つるつるとした触り心地の良い小田原漆器は、箱根で採れた木材が使用されており、自然の素材の持ち味が生かされた逸品でもあります。今回はそんな小田原漆器についてご紹介い致します。

由来・歴史

小田原焼の歴史のはじまりは、室町時代中期にまで遡ります。ろくろの扱いに長けていた人たちが箱根で採れる木材を削り出し、漆を塗ったことからはじまりました。

北条氏康という人物が小田原漆器を手厚く支援し、塗師を呼ぶなどして彩漆塗の技術をもたらし、さらに発展していきました。

江戸時代に入ると、お椀などの器以外の商品も生産され始め、生産数はさらに拡大していくことになりました。昭和59年には通商産業大臣より「伝統工芸品」として指定され、今日まで技術が受け継がれています。

塗り方の種類

摺漆塗(すりうるしぬり)

木に直接漆を繰り返し何度も塗り込んでいく技法。

木地呂塗(きじろぬり)

透明な漆を塗りつけ、木目の美しさを特に際立たせる技法。

彩漆塗(いろうるしぬり)

朱漆や黒漆など、色付きの漆を塗る技法。

特長

小田原漆器の特徴は、天然素材を使用することによって楽しむことのできる木目の模様や、漆塗りの艶やかな輝き、磨き上げられたことによる非常になめらかな触り心地などがあげられます。漆器を作るための材料も、箱根の自然豊かな環境でのびのび成長した丈夫で歪みなどの少ない上質な欅を使用しています。

また、長南使用することによってだんだん美しい木目の模様がはっきりとしてきて、経年劣化も楽しめる工芸品であることも特徴の一つです。シンプルで飽きの来ない洗練された伝統工芸品である小田原漆器は、普段使いにとても向いています。

あまり派手なデザインの食器は使いたくないかも、といった方にぴったりの品です。

いかがでしたか?

神奈川県小田原市で作られている伝統工芸品、小田原漆器についての特集でした。天然素材を使用することによって楽しむことのできる木目の模様や漆塗りの艶やかな輝き、磨き上げられたことによる非常になめらかな触り心地など魅力が詰まった小田原漆器は、洗練されたシンプルなデザインで飽きの来ない普段使いにぴったりの食器です。

ご興味のある方はぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。

東京籐工芸

東京籐工芸は、東南アジアを中心に生息するヤシ科の植物を原料につくられる伝統工芸品です。籐ならではの触り心地や丁寧に編み込まれた見た目の美しさに加え、通気性や耐久性にも優れていて実用的な面もあります。

籐はとても頑丈な植物であり、世界で最も長い茎を生やす植物だと言われています。そのため、籐で作られた椅子や机は耐久性があり、インテリア家具をはじめ非常に人気が高いです。今回はそんな東京籐工芸についてご紹介します。

由来・歴史

その昔、籐は遣唐使によって日本にもたらされ、戦国武士の武器の一部の原料として使われていました。江戸時代になると武器だけではなく、籠などの日用品としても使用され、明治に入ると籐の日用品が数多く生産されていきます。

その後も籐は、高度経済成長に伴いインテリアやファッションとしての人気と需要を伸ばしていく一方、輸入製品も国内に入ってきたことにより籐職人の数が減少していきます。材料を輸入していることによってかかるコストや技術の後継者問題など、様々な課題があります。

特長

東京籐工芸の特徴として、材料である籐の丈夫さや軽さ、編んだり曲げたりしてつくられる素朴な見た目などが挙げられます。籐の太さは6センチ以上もあり、皮が固く強固なため、上に重いものが置かれても問題なく耐久性に優れています。

籐は耐久性、軽さ、曲げやすさや編みやすさを同時に兼ね揃えており、自然由来の素材としては非常に利便性の高い素材です。職人の手で丁寧に編み上げられる東京籐工芸は非常に温かみに溢れており、素朴でシンプルなデザインは和風でも洋風でもインテリアによく馴染み、合わせ易いです。

作り方

東京籐工芸の作り方について、東京都産業労働局から抜粋してご紹介致します。詳しく知りたい方は東京都産業労働局公式サイトをご覧ください。

曲げ

火熱又は蒸気を用い、曲げ台などにより行うこと。

挽き

ふし取りした丸籐の皮を割鉈ではいで銑(せん)で裏の身をとって、切出しで幅をきめること。

巻き

骨組の接合部分などを皮籐(かわとう)、芯籐(しんとう)で巻き補強すること。

編み

皮籐・丸芯・平芯で行い装飾性、強靭性など製品の用途に合せ正確に行うこと。

出典:東京都産業労働局

いかがでしたか?

世界で最も長い茎を生やす籐を原料に作られる伝統工芸品、東京籐工芸についてのご紹介でした。自然素材をそのまま生かしているこの製品は、温かみに溢れ、柔らかな雰囲気が周りのインテリアと調和します。ご興味のある方はぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。

有田焼・伊万里焼

有田焼・伊万里焼とは、佐賀県の有田町周辺で生産される磁器のことです。日本ではじめて作られたと言われている大変貴重な磁器であり、現在では佐賀県有田市で生産されるものを有田焼、佐賀県伊万里市で生産されるものを伊万里焼と呼びます。

なめらかな磁器の表面は絵柄をつけるのに大変役に立ち、色鮮やかで豪華絢爛という言葉が似あう磁器が職人の手によって生産されてきました。今回はそんな磁器、有田焼・伊万里焼についてご紹介します。

由来・歴史

1616年に朝鮮から日本に来た陶工が、佐賀県の有田の泉山で上質な磁器の材料が手に入ることを発見し、有田焼・伊万里焼の生産が始まりました。17世紀ごろには海外へも輸出され、当時のヨーロッパではまだ磁器を生産する技術がなかったこともあり大変人気を博していました。とりわけ、ヨーロッパの貴族は有田焼・伊万里焼に深く魅了され、この磁器と同じものを生産できるようにと国王の要望によってはじまったと言われているのが、ヨーロッパを代表する陶磁器ブランドのマイセンです。

1647年に、柿右衛門という人物が中国の高度な色絵技術を学び、紆余曲折を経て長崎で完成品の販売を開始しました。こうして有田焼の技術はより高度なものへと変化していきました。その後、ヨーロッパで内乱や戦争が起きたり中国が禁止していた輸出を再開したことなどの影響から、有田焼の生産の方向性は日本の市場へと向いていくようになりました。

最初は富裕層向けに生産されてはいたものの、江戸時代に料理屋や茶屋などの増加から庶民の間でも使用される日用的な器となりました。その後は明治維新やパリ万博などで再び市場を世界へと広げていき、今日の大変人気の高い、人々から愛用される陶磁器であり続けています。

種類と特徴

日本だけでなく世界からも愛され、盛んに輸出されていた有田焼・伊万里焼。繊細でなめらかな触り心地の陶磁器は、多くの人々を魅了しました。時代の変化や技術革新、職人によって様々な種類の有田焼・伊万里焼が生産されていました。現代においても、有田焼・伊万里焼は軽く持ち運びしやすいため、日用の食器としての使用がおすすめです。

古伊万里様式

赤や金といった色合いの高級感あふれるデザインが特徴。江戸期に生産されていた。かつて伊万里港から輸出されていたことからこう名付けられている。

鍋島様式

他の種類の模様とは異なり、淡い青色が使用されているのが印象的で、規則正しい紋様が描かれている格式高いデザインが特徴。大名への献上を目的として生産されていた。

柿右衛門様式

酒井田柿右衛門が発案し、赤や青、緑といった鮮やかな色彩と繊細なタッチで描かれた自然や花、動物といったモチーフが特徴。和の雰囲気や絵付けの技術が高く、海外からの人気が高かった。

作り方

有田焼・伊万里焼の作り方について、有田観光ウェブサイトから抜粋してご紹介致します。詳しく知りたい方は有田観光ウェブサイトをご覧ください。

成形

陶土で形を作る工程です。大きく分けて、ろくろ成形と鋳込み成形の2種類があります。

素焼き

成形し乾燥させた素地をおよそ900度の低い温度で焼きます。これによって、本焼成の際に収縮率が大きくなって割れるのを防いだり、絵付けがしやすくなります。

下絵付け(線書きと濃み)

「呉須」という、焼くと藍色に発色する絵の具で絵付けをします。文様の線を描くことを「線描き」、線の中を塗ることを「濃み」と言います。

施釉

「釉薬」をかけます。「釉薬」は白っぽい液体なので、呉須で描いた下絵はいったん見えなくなりますが、焼くと透明のガラス質になるので、肌につやが出て文様が浮かび上がります。また、水を通さなくなり、汚れにくくなります。

本焼成

薪やガスなどの燃料を使い1300度ほどの高温で焼き上げます。呉須のみで加飾された「染付け」と呼ばれる製品は、この本焼成の工程で完成となります。

上絵付け

本焼成が終わった製品に赤・緑・黄・金など、藍色以外の絵の具を釉薬のガラス質の上に施す作業です。白磁に上絵付したものを「赤絵」、染付け(下絵付け)したものに上絵付したものを「染錦」と言います。

上絵焼成

赤絵付で施した絵具の定着させるために、上絵窯(赤絵窯)という上絵を焼き付ける専用の窯で700〜800度の低温度で焼きます。

完成

完成した作品は、成形直後の素地よりも15%ほど縮みます。

出典:有田観光ウェブサイト

いかがでしたか?

400年以上もの歴史を持つ有田焼・伊万里焼は、現在も様々な職人によって伝統的なデザインのものや、モダンな要素を加えたりアレンジされたアクセントのある商品がつくられ、販売されています。少しでも興味を持たれた方がいれば、ぜひ購入してみることをお勧めします。

江戸硝子

江戸硝子は、主に東京でつくられている伝統工芸品で、2014年に経済産業省から伝統工芸品に指定されています。透明感があり、涼し気な雰囲気を楽しむことができる江戸硝子。

工場で大量生産できないため同じものはひとつとなく、人の手で作られているからこそ感じる独特のぬくもりがあります。技術を受け継ぐ職人によって丁寧に作られている江戸硝子についてご紹介していきます。

由来・歴史

かつて日本ではガラスのことをビードロ、ギヤマン、瑠璃などと呼んでいる時代がありました。ポルトガルやオランダからガラスが持ち込まれ、日本国内でガラス製品が作られ始めました。

江戸にガラスの製造を広めた人物は、ガラス問屋で働いていた加賀屋久兵衛と、浅草のガラス職人上総屋留三郎という人物たちです。加賀屋久兵衛は江戸切子のカット技法の発案者でもあります。二人は様々なガラス製品を世に生み出し、大変な人気を博しました。日本における硝子細工の技術は、西洋からランプが輸入したことや、発展に伴い大規模ガラス工場が設立されたことなどによりますます発展していきました。

特長

江戸硝子は熟練の職人によって一つ一つ丁寧に作られているため、全く同じ商品は2つとなく、すべて一点ものであるというのは大きな特徴です。人の手によって作られたことによる特有のぬくもりや、吹きの技術による独特のデザインも魅力的な点です。

江戸硝子は主に東京の墨田区、江東区、江戸川区で作られています。近年では伝統的な製品以外にも、時代に合わせた新しい製品も制作しており、モダンなデザインのものやタンブラー、ワイングラスなどは高い評価を受けています。

ガラスと言えば無色透明なイメージが強いですが、江戸硝子は着色によってカラフルで可愛く仕上げられている商品が多いです。贈答品としても人気があり、大切な人へのプレゼントに最適です。

作り方

江戸硝子の作り方について、東京都産業労働局のサイトから抜粋してご紹介致します。詳しく知りたい方は東京都産業労働局公式サイトをご覧ください。

吹きガラス

熱く解けた硝子種を吹き竿に巻き取り、息を吹き込んで成形する。

① 宙吹き: 硝子種を吹き竿に巻き取って、空中で吹き竿をまわしながらハシ等の道具で形を整える。炉で温めながら、成形を繰り返す。

② 型吹き: 宙吹き法に加え、木型、金型などを用いて成形する。

型押し

雄雌の両型をつくり、吹き竿に巻き取った硝子種を型に入れ、雄型で押して成形する。

出典:東京都産業労働局

いかがでしたか?

東京の伝統工芸品、江戸硝子についての特集でした。透明度が高く、透き通って美しい江戸硝子の製品はとても芸術的で、江戸時代から脈々と受け継がれてきている技術をもちいつくられる江戸硝子は、どこかぬくもりを感じることのできる魅力的な工芸品です。

数ある日本の伝統工芸品と比べると、比較的安価で購入しやすい点も嬉しいポイントです。淡い指し色がかかったお皿やコップを食卓に並べれば、日々の生活がより彩られ明るくなることでしょう。興味がある方はぜひご購入されてみてはいかがでしょうか。