壺屋焼

壺屋焼とは、沖縄県那覇市壺屋地区で作られる沖縄の代表的な伝統工芸品です。あたたかみと重量感を感じることのできる壺屋焼は、沖縄独自の力強さや雰囲気を感じることができる魅力的な工芸品です。今回はそんな壺屋焼について詳しく特集していきます。

由来・歴史

壺屋焼の歴史は長く、約600年もの歴史を持っていると伝えられています。当時琉球王国は海外との交易が盛んであったため、琉球王国内に中国をはじめとする南方の国から陶磁器や南蛮焼の技術が伝わりました。

1609年に薩摩が琉球を侵略したことをきっかけに統治下におかれ、海外との交易の頻度が落ちてしまいます。薩摩からの制限や中国の情勢悪化により、陶器などさまざまな生活用品を手に入れることが難しくなったことを危惧した琉球王国の尚貞王は薩摩から朝鮮人の陶工を招き、技術の習得をはじめ、自国で生産ができるように努めました。

1682年には、ばらばらの位置にあった琉球王国の3つの窯場を那覇市の牧志の南に統合し、壺屋という地名で呼ぶようになりました。明治維新後、琉球王国は滅びますが壺屋焼は作られ続けました。しかし、本土の安い焼き物が大量に輸入され、一時衰退してしまいます。

一時下火になった壺屋焼ですが、大正時代におこった民藝運動のおかげで壺屋焼の知名度が日本全土に広がっていき、注目されるようになりました。昭和になると、沖縄ブームが到来し壺屋焼の需要が増えますが、那覇の町に住民が増えたこともあり窯から出る煙が問題視され、窯の使用が禁止されます。職人たちはそれぞれ焼きものづくりに適した土地に窯を築き、現在も壺屋焼を作り続けています。

種類

壺屋焼きは以下の二種類に分けられます。

荒焼

釉薬をかけずに1120度前後の温度で焼き上げたもの。ずっしりとした重量感のある水甕、酒甕などがよく作られ、主に保存を目的としている。

上焼

釉薬をかけ約1200度の高温で焼かれたもの。食器や花器類など小さめで日常使いできるものが多い。

特徴

壺屋焼きの特徴として、土の質感を感じさせてくれる作風や、数多くの種類の釉薬を使用することによってあたたかみのある自然な色味を楽しませてくれる点などが挙げられます。沖縄県では上質な陶土が良く採掘されます。この陶土のおかげで、壺屋焼は他の陶磁器とは一味違う、自然の力強い雰囲気を出すことができます。

また、白釉、黒釉、飴釉、乳濁釉など様々な種類の釉薬を使用することで、あたたかみのある独特の色味を付けることができます。釉を作品に掛けるときも、浸りたり、流したり、布を使用するなど様々な技法によって仕上げられています。素材の持ち味を生かしながら、様々な手法によって完成される壺屋焼は沖縄を代表する工芸品であり、現在も多くの人から支持されています。

作り方

出石焼の作り方について、JTCO日本伝統文化振興機構ウェブサイトから抜粋してご紹介致します。詳しく知りたい方はJTCO日本伝統文化振興機構の公式サイトをご覧ください。

【上焼の製法】

陶土を粉砕し、ふるいにかけ、水簸(すいひ)を行って石や砂などを取り除いた後、土をねって素地土(きじつち)をつくります。ロクロや型などによって成形した後、化粧掛けを行い、さまざまな方法で飾りつけをし、釉薬をかけます。その後、十分に乾燥させて窯詰し、本焼を行います。
ほとんどの製品は本焼で完成しますが、赤絵の製品の場合、本焼した器に赤や緑、黄色などの色で上絵付(うわえつけ)を行い、焼付窯(やきつけがま)でもう一度焼き上げます。

【荒焼の製法】

陶土を細かく砕き、ふるいにかけ、土をねって焼物の素地になる土をつくります。成形はロクロや手びねり、ウシチキー技法などによって行われます。製品によっては、盛り付けなどの技法で飾りをつけ、泥釉やマンガン釉をかけます。その後、乾燥させて窯詰し焼成します。

出典:JTCO日本伝統文化振興機構

いかがでしたか?

沖縄県那覇市壺屋地区で作られる沖縄の代表的な伝統工芸品、壺屋焼についての特集でした。沖縄で採れる高品質の陶土を原料とし、数多くの種類の釉薬を使用することによってあたたかみのある自然な色味や、土の質感を感じさせる壺屋焼ならではの特徴が多い壺屋焼は、沖縄を代表する伝統工芸品です。興味のある方はぜひ一度お手に取ってみてはいかがでしょうか。

出石焼

出石焼とは、兵庫県盛岡市出石町で作られている伝統的工芸品です。透き通るような白磁が大変美しく、和菓子などの受け皿をはじめとした食器や花器など日用雑貨として販売されています。今回はそんな出石焼を紹介します。

由来・歴史

出石焼の歴史は、江戸時代頃に兵庫県出石市周辺で白磁に使用される陶石が発見されたことからはじまりました。伊豆屋弥右衛門という人物が出石郡細見村に土焼の窯を開き、これが現在の出石焼のルーツになっていると伝えられています。

最初は出石藩からの支援もあり栄えた出石焼でしたが、幕末から明治へと移り変わる変遷の時代には衰退してしまいます。しかし、佐賀県から柴田善平という人物を招き、指導によってより精巧な磁器を作ることができるようになり、出石焼はさらなる進化を遂げました。

1904年に開かれたセントルイス万国博覧会で金賞を受賞するなど、外国からも高評価でした。現在も出石焼を行う窯はいくつかあり、その伝統の技を脈々と受け継いでいます。

特徴

出石焼の特徴は、なんといっても透き通るような白い白磁です。白磁自体が国内では珍しく、他の盛んな磁器の産地は白磁よりも焼き物や染付を主体としている場合が多いため、白磁メインで生産を行っていることも大きな特徴の一つと言えます。熟練の職人の手によって花などのモチーフが彫られており、そり一層美しさを際立たせています。

また、1789年に二八屋珍左衛門という人物が藩の援助を受けて有田で磁器の作り方を学び技術を持ち帰ったことから、出石焼は有田焼と深い関係のある工芸品だと言えます。他の地域で生産されている磁器と比べ色絵や染付などが施されていることはあまりなく、白磁の素材そのものの美しさに重きを置いている工芸品です。

また、出石はそば屋が多いことで有名であり、こだわりの手打ちそばを出石焼の小皿に盛り付けて提供するスタイルが定着しています。美術的価値の高さに関わらず、日用雑貨としても需要の高い出石焼は、現在も多くの人々を魅了しています。

作り方

出石焼の作り方について、JTCO日本伝統文化振興機構ウェブサイトから抜粋してご紹介致します。詳しく知りたい方はJTCO日本伝統文化振興機構の公式サイトをご覧ください。

【1】磁土作り

磁器である出石焼の原料は陶石です。その陶石をすりつぶし、練り固めて磁土(いわゆる粘土)を作ります。昔は職人がしていましたが今は一括して委託しています。

【2】成形

成形の中でもさらに3段階に工程が分かれます。
まずは「練る」こと。成形の前段階とも言えますが非常に大事な作業です。これにより磁土の中の空気を抜いていきます。約1~2時間丹念に練っていきます。
次に「成形」。ろくろを使い思いを手にこめて、手先に意識を集中して作っていきます。
3番目に「削る」工程です。底ならびに表面を綺麗にするためろくろで削っていきます。
これで成形の作業が終わります。

【3】乾燥

家の中で、成形した作品を20日から1カ月間、乾燥させます。

【4】彫り

この作業は工程に入る場合とそうでない場合がありますが、表面にレリーフ状の模様を付けていく作業です。

【5】素焼

800~900度の火で12~20時間かけて作品をそのまま焼きます。その後、2日間さまし、3日目に窯から出します。
素焼をする理由は(1)いったん素焼きをすると土に戻らない。
(2)薬をかけても作品がこわれず、また薬がかけやすい状態になるからです。

【6】絵付

青色の絵付をする時は呉州(ごす)を塗ります。赤色のときは釉裏紅(ゆうりこう)などで絵付します。

【7】釉薬(ゆうやく)をかける

釉薬は、薬といっても素材は天然のもの。長石・陶石・石灰石などが原料です。釉薬には2種類有ります。一つ目はつやを出すための透明釉。二つ目は反対につや消しのための結晶釉(滑石を加えたもの)です。いずれも作品を保護する役目を果たします。

【8】本焼

1250~1300度の火で20時間前後焼きます。

【9】窯出し

本焼きから3日目に窯から出します。ようやく完成です。出来あがるまでに1カ月以上もかかるのです。

出典:JTCO日本伝統文化振興機構

いかがでしたか?

兵庫県盛岡市出石町で作られている伝統的工芸品、出石焼についての特集でした。万国博覧会で金賞を受賞したりするなど、出石焼の美しさは高く評価されており美術的価値のある出石焼ですが、お茶菓子の受け皿や食器としても使用されているなど、多くの人々の日常の中に溶け込んでいます。興味のある方は、ぜひ一度お手に取ってみてはいかがでしょうか。

二風谷イタ

二風谷イタとは、主に北海道沙流郡平取町二風谷で作られている伝統的な木彫りの平らなお盆です。アイヌの民族によって作られてきた二風谷イタは、アイヌに伝わる伝統の模様が木彫りで彫られており、暮らしを支える日用品でした。今回はそんな二風谷イタにつて、詳しく特集していきます。

由来・歴史

二風谷イタについて、幕末頃に松前藩が行った幕府への献上品の中に沙流川流域のイタが含まれていたとの記録が残っており、少なくともこれ以前からアイヌ民族の間で二風谷イタが作られてきたことがわかります。

明治時代になると、貝澤ウトレントクと貝澤ウエサナシという人物たちがアイヌの伝統的なウロコのモチーフを彫り込んだ作品を札幌にて販売していたとの記述が『平取町史』に残っています。

この時期作られたとされる作品は大変貴重なものとして、現在も平取町立二風谷アイヌ文化博物館に保存されています。また、2013年には経済産業大臣から伝統的工芸品に指定されました。

模様の種類

  • モレウノカ 渦巻の文様
  • アイウシノカ 棘の文様
  • シクノカ 目の文様
  • ラムラムノカ ウロコ文様

特長

二風谷イタの特徴として、長きにわたり受け継がれてきたアイヌ民族の代表的な紋様を木に彫り込んでいる点や、北海道の広大な土地で採れたクルミやカツラの木を長い時間をかけて乾燥させたものを材料として使用している点などが挙げられます。

二風谷イタに彫り込まれる伝統の模様の種類は多く、魚のウロコ、渦巻き、棘などといった自然のものをモチーフにしています。アイヌの伝統文化においては、マキリと呼ばれる刃物の鞘や、衣服、織物など日常の中で使用するものを伝統の文様で装飾する傾向が強く、二風谷イタも美しい装飾が施されています。

アイヌでは適齢期を迎えた男性が、自分の刃物で彫った木彫り作品を意中の女性へ贈るという風習があったそうで、当時から二風谷イタは贈答品や商品としての価値が高かったことがわかります。現在は二風谷民芸組合がその伝統を継承し、その伝統を守り続けています。

作り方

二風谷イタの作り方について、JTCO日本伝統文化振興機構ウェブサイトから抜粋してご紹介致します。詳しく知りたい方はJTCO日本伝統文化振興機構の公式サイトをご覧ください。

二風谷イタの製造工程は、型取り・文様彫り、ウロコ彫りなど多岐にわたっており、それぞれの工程において手作業となっています。

【1】底取り
荒彫りした板の内側を皮裁ち包丁で同じ深さに削って、彫る面を整えていきます。内側の縁のラインも丸ノミで美しく仕上げます。

【2】裏面仕上げ
裏面の角を面取りしていきます。これで板の形取りが完成です。

【3】文様彫り
文様をデザインし、そのラインに沿って三角刀で線取りをしていきます。次に丸ノミで彫り下げ、立体感と陰影を出していきます。

【4】二重線彫り
文様のラインをさらに加え、彫りの表情を豊かにしていきます。

【5】ウロコ(ラムラムノカ)の線入れ
モレウノカ(渦巻き)やシクノカ(目の形)の間を埋めるように、木目を縦方向にして、印刀でウロコの文様となる枡目を引いていきます。
このウロコ彫りをひとつの作品に多用するのが、二風谷イタの特徴です。

【6】ウロコ(ラムラムノカ)の起こし
印刀の裏刀でウロコを一つひとつ起こしていきます。枡目の半分が彫られることになります。ウロコの面積の大きさと独特の表情が、二風谷イタならではの表情を作ります。

【7】仕上げ
細部の調整をして完成です。

出典:JTCO日本伝統文化振興機構

いかがでしたか?

主に北海道沙流郡平取町二風谷で作られている伝統的な木彫りの平らなお盆、二風谷イタについての特集でした。熟練の職人の手によって彫られるアイヌ民族の代表的な紋様はとても美しく、北海道の自然や生命を感じさせるような魅力的な工芸品である二風谷イタは、かつては贈答用としても活躍し、現在も美術的価値の高い伝統工芸品として多くの人々から支持されています。興味のある方はぜひ一度お手に取ってみてはいかがでしょうか。

京扇子

京扇子とは、主に京都府や滋賀県で作られている伝統工芸品です。1000年以上も続く長い歴史を持ち、熟練の職人の手によって丁寧に作り上げられる風情ある美しい扇子は、扇の面に伝統的な絵付けが施され、京都で採れる高品質な竹を使用しており、美術品として価値の高い伝統工芸品です。今回はそんな京扇子について詳しく特集していきます。

由来・歴史

京扇子の歴史は、今からおよそ1200年ほど前、平安時代頃にはじまったと伝えられています。もともとは、「木簡」と呼ばれる、文字を書くために使用されていた縦長の薄い木の板から扇子が誕生したと言われています。紙を折りたたむことができるため、和歌などを書くメモのような用途で使用されていました。

当時は身分の高いものしか使用ができず、主に貴族の間で使用されていました。平安時代中期に入ると、夏に蝙蝠扇が良く使用されるようになります。扇の骨の部分の本数が5本ほどで、扇を広げた様子が蝙蝠に似ていたことに由来し、このように呼ばれていました。

現在のような豪華な装飾が施されるようになったのは、江戸時代に入ってからです。演劇や茶道などの催しの際に使用され、広く庶民の間で日常使いされるようになりました。現在は伝統的なモチーフに加え、モダンでファッショナブルなデザインの扇子や、ブランドとコラボレーションしたものも販売され、多くの人々から愛され続けています。

特長

京扇子の特徴として、京扇子という呼び名を組合のみが使用できること、京都で採れる上質な竹を使用して作られていること、完全分業制を採用していることなどが挙げられます。京都の丹波地方では、上質な真竹が採れるため、高品質な扇子を作ることができます。京都内で品質の良い材料が採れることは、1000年以上も続く京扇子の歴史を築くことができた大きな要因の一つと言えるでしょう。

また、京扇子は完全分業制のため、多くの熟練の職人たちがそれぞれの技術を活かすことによって仕上げられます。紙、骨、装飾の部分をそれぞれ異なる職人が担当します。すべての工程を合わせると、約80以上もの工程に及び、京扇子が出来上がるのに長い時間と高い技術を要します。

京扇子は他の扇子よりも扇の骨の本数が多いため丈夫で、折り畳みもなめらかに行えるため人気が高く、趣深い工芸品です。綺麗に開閉できる様子は風情があり、大変美しいことも京扇子が多くの人々から支持される要因の一つです。

作り方

京扇子の作り方について、京都扇子団扇商工協同組合ウェブサイトから抜粋してご紹介致します。詳しく知りたい方は京都扇子団扇商工協同組合の公式サイトをご覧ください。

(1) 扇骨加工(せんこつかこう)

(1-1) 胴切(どうぎり)

(1-2) 割竹(わりたけ)

(1-3) せん引 (せんびき)(割竹を必要な厚さまで薄く削ぐ(へぐ))

(1-4) 目もみ(要を通す穴をあける)

(1-5) あてつけ(扇骨成型)

竹材に要穴(かなめあな)をあけそれに串を通し数十枚を板のようにして、独特の包丁で削り成型します。丁寧な「あてつけ」作業とその後の「磨き」(みがき)が京扇子ならではの光沢を生み出します。

(1-6) 白干し(しらぼし)

ほぼ完成された扇骨(せんこつ)を屋外で日光にさらし、乾燥させる。

(1-7) 磨き(みがき)

(1-8) 要打ち(かなめうち)

(1-9) 末削(すえすき)(紙の間に入る扇骨を薄く細く削る)

折目(おりめ)を施した地紙(じがみ)(扇面(せんめん))の中に入れる中骨(なかぼね)の部分を薄くするため、一枚一枚を鉋(かんな)で削る。

(2) 地紙加工(じがみかこう)

(2-1) 合わせ(あわせ)

芯紙(しんがみ)といわれる極めて薄い和紙を中心にして両側に皮紙と呼ばれる和紙を貼り合わせます。後の工程で芯紙が二つに分かれその隙間に扇骨が入ります。また、扇子に用いる紙は地紙と呼びます。

(2-2)乾燥

(2-3) 裁断

(3) 加飾(かしょく)

(3-1) 箔押し(はくおし)

糊を引いた上に一枚ずつ置かれる金箔。箔は極めて薄く取り扱いには注意が必要です。地紙一面に箔を押す<無地押し(むじおし)>は一見簡単なようで実は高度な技術を要します。

(3-2) 上絵(うわえ/手描き)

一枚一枚絵師(えし)によって手描きされる地紙。伝統的工芸品・京扇子はこうした<手描き>の他、古来からの技法である「切型摺り込み(きりがたすりこみ)」、「版木つき」「木版画摺り」により彩られます。

(3-3) 木版画摺り(もくはんがずり)

(4) 折加工(おりかこう)

(4-1) 折り(おり)

折型(おりがた)(型紙(かたがみ))に挟み込まれ、しっかりと把み(つかみ)進められた平らな地紙に折り目が付けられます。

(4-2) 中差し(なかざし)

(4-3) 万切(まんぎり)

(5) 附け加工(仕上げ)

(5-1) 中附け(なかつけ)仕上げ加工

芯紙(しんがみ)が二つに分かれて出来る隙間へ糊を引いた中骨(なかぼね)が手早く差し込まれます。この後、正しく位置が決められ拍子木(ひょうしぎ)で強く叩きこなされます。

(5-2) 万力掛け(まんりきがけ)

(5-3) 親あて(おやあて)

完成

出典:京都扇子団扇商工協同組合

いかがでしたか?

主に京都府や滋賀県で作られている伝統工芸品、京扇子についての特集でした。京都の地で採れる良質な材料のおかげで1000年物時を経て長く発展してきた京扇子は、現在もその技術を受け継いだ熟練の職人によって80を超える作業工程を経て完成される美しい伝統工芸品です。興味のある方はぜひ一度お手に取ってみてはいかがでしょうか。

江戸からかみ

江戸からかみとは、主に東京の江戸川区、練馬区、文京区で作られている伝統工芸品です。和紙の上に美しい装飾を施すことによって作られており、主に襖や屏風などとして使用されます。今回はそんな江戸からかみについて詳しく解説していきます。

由来・歴史

江戸からかみの歴史はとても長く、平安時代頃にはじまったと伝えられています。中国から伝来した「紋唐紙」を参考にし、作られたのがから紙です。当時は和歌を詠むための詠草料紙として高い需要がありました。その後も屏風、襖などにも使用されるようになり、江戸時代になると江戸のまちづくりが発展したことに伴いからかみの需要もますます伸びていくことになりました。

また、この需要に伴い、からかみの発祥の地でもある京都から職人たちが江戸へと移住し、需要急増の対処をしました。江戸からかみは京からかみの技法がルーツとなっていましたが、職人たちは江戸からかみならではの表現技法を確立していき、現在の江戸からかみへと繋がっています。

その後、第二次世界大戦時に江戸からかみは衰退しますが、その文化的価値がみなおされ、今では現代風にアレンジされたモダンなデザインの襖や壁紙、封筒をはじめとした文房具なども販売されており、人々の日常を彩っています。

特長

江戸からかみの特徴として、多彩で豊富な種類の文様や、草花などの伝統的かつ洗練されたデザインなどが挙げられます。武家をはじめ高貴な身分の者のみ使用することができた文様から、庶民が着ていた着物の柄からつくられた下町情緒あふれる紋様まで、様々な模様があります。

また、江戸からかみは様々な技法で作られてきました。唐紙師が手作業で刷り上げる木版手刷り、破れにくいな伊勢型紙と刷毛を使用する更紗師や、金箔や砂子を使用する砂子師が、それぞれ競い合って各々の技術を高めあい、江戸からかみの発展を広げていきました。

作り方

江戸からかみの作り方について、JTCO日本伝統文化振興機構ウェブサイトから抜粋してご紹介致します。詳しく知りたい方はJTCO日本伝統文化振興機構の公式サイトをご覧ください。

江戸からかみの加飾【かしょく】の技法の中心は、唐紙師の技術の展開であり、和紙に刷毛【はけ】で顔料や染料を引き染め(具引き地【ぐびきぢ】、縦横【たてよこ】の縞模様・格子【こうし】の丁子【ちょうじ】引き等)した上に、文様を摺ります。
模様を彫った木版の凸部に、篩【ふるい】とよぶ独特の道具を使い、雲母粉【きらこ】などの顔料と糊をまぜた絵具を移し、版木の上に和紙をのせて、手の平で撫でて文様を写しとるものであります。
これが狭義の江戸からかみでありますが、江戸は巨大な人口をかかえるとともに火災が多かったので、木版だけでなく、かさばらない渋型紙を用いて加飾するふすまの更紗師【さらさし】も増え、さらに金銀箔【きんぎんはく】を平押し、または砂子【すなご】にして和紙に蒔く砂子師【すなごし】も、からかみの装飾に加わってきます。

これら唐紙師・更紗師・金銀箔砂子師の三つの加飾技法をもって、「江戸からかみ」と称するようになりました。
京のからかみは、唐紙師の技法のみで加飾される狭義のからかみであるのに対し、「江戸からかみ」は、唐紙師・更紗師・金銀箔砂子師の三つの加飾技法で作られる、広義のからかみということになります。

出典:JTCO日本伝統文化振興機構

いかがでしたか?

東京の江戸川区、練馬区、文京区で作られている伝統工芸品、江戸からかみについての特集でした。様々な技術者によって切磋琢磨された江戸からかみならではの伝統の模様や美しさはとても魅力的で、ホテルの装飾や家の内装、日常使いできる文房具など様々な場面で使用されています。興味のある方はぜひ一度お手に取ってみてはいかがでしょうか。

美濃焼

美濃焼とは、岐阜県で作られている伝統工芸品です。美濃焼の持つ歴史は非常に長く、後醍醐天皇時代の「廷喜式」に美濃の国では陶器が作られていたとわかる記述が残っており、現在もなお窯跡で発掘調査が行われています。今回はそんな美濃焼について、詳しく特集していきます。

由来・歴史

美濃焼の歴史はとても長く、7世紀頃に愛知の猿投窯から須恵器の製造が美濃に伝わったと言われています。平安時代から室町時代にかけて、須恵器や灰釉、土師器、山茶碗、古瀬戸など実に多くの焼き物が生み出されました。

織田信長や豊臣秀吉が活躍した桃山時代に入ると、千利休を筆頭に茶の湯文化の流行により数多くの茶陶が作られるようになりました。この際、灰志野、織部など新しい陶器も生み出され、趣深くわびさびを感じさせる魅力的なやきものの種類の多さから、この時代に美濃焼がいかに大きく発展していたのかが伺えます。

江戸時代に入ると、庶民向けに日常で使用するような陶器が生産されるようになり、日本全国に流通するようになっていきます。明治期以降、日用雑貨の生産が中心になったこともあり、コストパフォーマンスを重視した大量生産の実行、機械化や技術向上を実現しました。

このような努力もあって、美濃焼は現在も日本での生産量一位を維持し、全国生産のうち60%の和食器を生産しています。

種類

志野

室町時代の茶人志野宗信がはじめたと言われており、日本ではじめて作られた白い陶器です。志野釉とよばれる白い釉薬を使用します。

織部

大名茶人である吉野織部が作らせたと言われている陶器で、大胆で力強い模様が施されており、織部釉とよばれる緑の釉薬を使用し作られています。

黄瀬戸

淡い黄色が特徴的で、花や線などシンプルなデザインのものが多く、素朴でどことなく儚げな雰囲気の漂う陶器です。

瀬戸黒

黒色が特徴的な光沢の美しい陶器です。鉄分を多く含む鉄釉が使用されており、高温の窯から取り出し水などですぐに冷やす「引き出し黒」と呼ばれる技法で作り上げます。

特長

美濃焼の特徴として、様々な種類の釉薬を使用して、たくさんの魅力的なやきものが作り出されている点や、大量生産や機械化など生産コストを下げることによってたくさんの美濃焼を生産し、国内で作られる和食器のうち60%を占めている点などが挙げられます。

美濃焼は、これといった大きな特徴を持つ陶器ではありませんが、それゆえ汎用性が高く大量生産ができるため全国で高い生産量を誇っています。伝統的な技法を受け継ぎつつも、現代風にアレンジした作品なども生産されるなど、自由度が比較的高いことも特徴の一つと言えます。

いかがでしたか?

岐阜県で作られている伝統工芸品、美濃焼についての特集でした。美濃焼の持つ長い歴史の中で、たくさんの技法や種類が生み出され、現在も国内の和食器のシェア率の半数を占めている美濃焼は、現代風にアレンジされて販売されるなど、現在も多くの人から愛されています。ご興味のある方は、ぜひ一度お手に取ってみてはいかがでしょうか。

秀衡塗

秀衡塗とは、岩手県平泉町で作られている伝統の漆器です。黒地の上に豪華な金箔をあしらった美しさが特徴的で、かの有名な奥州藤原氏がはじめたと言われています。今回はそんな秀衡塗について、詳しく特集していきます。

由来・歴史

秀衡塗の歴史は、中尊寺金色堂をはじめとした仏教美術を築かせた人物である奥州藤原氏と深いゆかりがあります。平安時代、みちのくでその名を馳せた武将、藤原秀衡が、平泉で採れる質の高い漆と金を使い、京都から招いた職人に漆器をつくらせたのが始まりと言われています。

漆の産業や工芸は、当時の平泉の発展に大きく貢献したと伝えられています。江戸時代後期に入ると、平泉町の近辺の村で漆器が盛んに作られるようになりました。実は、秀衡塗と呼ばれるようになったのは明治以降になってからです。

秀衡塗は大正時代に入ると今までの勢いを失い衰退してしまいますが、1935年に柳宗悦らによって秀衡塗の調査が始まり、秀衡塗は復興していきます。1985年には国の伝統工芸品として指定を受け、伝統受け継ぎ続けています。

特長

秀衡塗はしっかりとした本堅地下地の上に美しい金箔や漆で色付けした美しい模様や、漆の持つ特有の艶、手によく馴染むぷっくりとしたお椀のフォルム等が主な特徴として挙げられます。

ひし形に切った金箔を源氏雲と呼ばれる雲の模様に組み合わせた有職菱紋と名のついた伝統的な模様があり、雲の隙間には子孫繁栄の願いを込めた草花などが描かれています。

また、秀衡塗は大・中・小の椀がセットになったものが基本の形であると言われており、手のひらに馴染みやすいぷっくりとした銅の丸さなど冠婚葬祭などで使用されることも多く、馴染みやすさもありながら高級感も感じられる、魅力的な工芸品です。

作り方

秀衡塗の作り方について、東北の伝統的工芸品のウェブサイトから抜粋してご紹介致します。詳しく知りたい方は東北の伝統的工芸品公式サイトをご覧ください。

  • 木地造りにおいて、椀にあっては、その型状は、次の技術又は技法による「秀衡型」とすること。

口縁部は、「内すぼまり」とすること。
身部は、「丸み」をつけること。
高台部は、「末広がり」とすること。

  • 下地造りは、次のいずれかによること。

「本堅地下地」にあっては、麻または寒冷紗を用いて、「布着せ」をした後、地の粉を用いた「地付け」、地の粉と砥の粉を混ぜあわせたものを用いた「切り粉付け」及び「さび付け」をすること。

「漆地下地」にあっては、精製生漆と精製黒中塗漆を混ぜ合わせたものを塗付しては水研ぎをすることを繰り返すこと。

  • 塗漆は、次の技術又は技法によること。

「下塗」及び「中塗」をすること。
「上塗」は、花塗又はろいろ塗とし、椀にあっては、外黒内朱とすること。

  • 加飾は、「雲地描き」、「箔貼り」及び「漆絵」による「秀衡模様」とすること。

出典:東北の伝統的工芸品

いかがでしたか?

岩手県平泉町で作られている伝統の漆器、秀衡塗についての特集でした。秀衡塗の持つ漆の光沢や金箔の輝きなどが大変美しく、高級感にあふれており、冠婚葬祭など格式の高い場面で良く使用されている伝統工芸品です。ご興味のある方はぜひ一度お手に取ってみてはいかがでしょうか。

萩焼

萩焼とは、山口県萩市で作られている伝統工芸品です。柔らかさや土の素材を感じさせる味わい深い陶器である萩焼は、山口県で採れる萩焼の材料として最適な土を原料に作られています。今回は、そんな萩焼について特集していきます。

由来・歴史

萩焼の歴史は、今からおよそ400年以上も前にはじまりました。1604年、当時の萩藩の藩主であった毛利輝元は、朝鮮から李勺光とその弟の李敬いう陶工を招き、その時開かれた窯が現在の萩焼のはじまりとなりました。最初は高麗風の焼き物が多く制作されていましたが、徐々に様々な流派が生み出され和風な作品が増えていき、発展を遂げていきます。

江戸時代は磁器の需要が高く多くの商品が作られ海外に輸出するほど栄えますが、江戸明治維新や日本の西洋化の影響により一時期衰退してしまいます。しかし、明治後期には日本文化の価値を見直す風潮が強まり、「1楽、2萩、3唐津」という言葉が生み出され、萩焼は再び人気を取り戻します。

また、三輪休雪という人物が「休雪白」という名の個性のある作風を生み出し重要無形文化財の保持者、すなわち人間国宝に認定されるという偉業を成し遂げました。その弟である11代目休雪もまた人間国宝として認められるなど、休雪の生み出した技術は脈々と受け継がれていきます。

種類

萩焼に使われる土は、主に3種類です。この三種類を混ぜ合わせて作られています。作る作品や使用する釉薬との兼ね合いによってそれぞれの分量を調整し、作品を仕上げています。

金峯土

萩市福井下金峰で採れる耐火性のあるカオリン質の白色土です。

大道土

萩焼の要の役割を果たし、鉄分が少なく白味がかった色が特徴的です。

見島土

赤味がかった色が特徴で、鉄分が多く含まれています。

特長

萩焼の大きな特徴のうちの一つとしてまず挙げられるのは、貫入と呼ばれる細かくひび割れたような模様です。いくつかの種類が混ぜ合わさった土と釉薬の収縮率の差によって、表面に模様が入ります。

長年使用していると、貫入の部分に茶の成分が染み込み、よりわびさびを感じさせるような味わい深いものへと変化していきます。この変化は「萩の七化け」と呼ばれ、萩焼の持つ大きな特徴です。

また、萩焼は低温でゆっくり焼かれるため焼きしまりが少なく、柔らかくて吸水性に優れているという性質を持ちます。趣のあるお茶の時間を楽しむことができる萩焼はとても人気があり、現在も数多くの作品が生み出されています。

作り方

萩焼の作り方について、萩焼陶芸家協会ウェブサイトから抜粋してご紹介致します。詳しく知りたい方は萩焼陶芸家協会の公式サイトをご覧ください。

原土

萩焼の原土は大道土(だいどうつち)、見島土(みしまつち)、金峯土(みたけつち)があります。この原土を水簸(すいひ=つちこし)して、粘土を作ります。

土揉み(菊練り、きくねり)

粘土を轆轤(ロクロ)一台に載る分量だけ板上に置いて、両手で練り上げます。

成形(せいけい)(水挽き、みずびき)

水挽き(みずびき)成形に使う轆轤(ろくろ)は、足で蹴って右回転(時計回り)させます。唐津(からつ)など西日本諸窯に多く見られる朝鮮系蹴轆轤(けろくろ)です。

成形(高台削り、こうだいけずり)

2~3日間陰干しし、陶枕(とうちん)に適当な土塊(つちくれ)をつけたものに器を伏せて、高台脇や内部の土を削り取ります。ここでの蹴轆轤は左回転が一般的です。

成形 ( 加飾、かしょく)(化粧掛けと刷毛目、はけめ)

器の形が完成すれば、自然乾燥後の生乾きのときに化粧土を施します。これは焼成したときの素地(きじ)の仕上がりをより美しくするためです。

素焼き

仕上げた器体を陰干し乾燥させた後、素焼用の単窯(たんがま)、もしくは窯焚き(かまたき)の際の最後尾にある焼成室(しょうせいしつ、袋)で700~800℃くらいの温度で15~16時間焼き上げます。

【釉掛け(くすりがけ)】-施釉(せゆう)

萩焼の釉薬は、長石粉に木灰(もくばい)を混ぜた土灰釉(どばいゆう、透明釉)と、これに藁灰を加えた藁灰釉(わらばいゆう、白釉)が主流です。調合した釉薬を素焼した器体に施します。器の制作目的と形状を考慮して、ずぶ掛け(浸し掛け、ひたしがけ)や柄杓掛け(ひしゃくがけ、流し掛け)などの施釉方法を採ります。

【窯積み(かまづみ)】

テンビン(天秤)積み、棚積み、さや積みで窯詰めをします。そして窯詰めに使われた焼成室側面の出入口は、投薪口(とうしんこう)を残して泥とレンガで塗り固められます。

【焼成】-窯焚き1

窯内全体に余熱を与えて湿気を除去するため、はじめに燃焼室(大口おおぐちとか、胴木窯どうぎがまと呼ばれる)を通常15 時間程度焚きます。燃料はアカマツの薪。

【焼成】-窯焚き2

あげていきます。側面の横口(投薪口)から室内温度にむらが生じないように細く割った薪を投入します。三袋の窯で約24時間、四袋で24~30時間、五袋では30~40時間の焼成が必要となります。焼成室(袋)内は1200℃前後の温度となります。焼成時間と火の色をみて、最後に試験用の色見を窯の中から取り出し、釉薬の溶け具合を見定めて薪投入の終了時期を測ります。

【焼成】-窯出し

焼成が終了すると各袋の横口(よこぐち、投薪口)を順次泥とレンガで密閉し、3~7日の徐冷したのちに窯出しをします。

出典:萩焼陶芸家協会

いかがでしたか?

山口県萩市で作られている伝統工芸品、萩焼についての特集でした。数種類の土を混ぜ合わせることによって独特の色味や風合い、貫入と呼ばれるヒビのような特徴的な模様など、個性が光る萩焼はとても人気が高い伝統工芸品です。興味のある方は是非一度お手に取ってみてはいかがでしょうか。

越前和紙

越前和紙とは、福井県越前地方で作られている和紙です。1500年以上もの長い歴史を持ち、独特の触り心地や生成り色が特徴的な高品質な越前和紙は、岐阜の美濃和紙、高知県の土佐和紙とともに日本三大和紙に数えられており、2017年に重要無形文化財に指定されました。今回はそんな越前和紙について特集します。

由来・歴史

日本の和紙の歴史の正確なはじまりに関して、はっきりとはわかっていません。日本に紙が持ちもまれたのはおよそ4~5世紀頃だと伝えられており、その頃に越前和紙も作られていたと伝えられています。

長い歴史の中で、越前和紙にまつわる伝説も残っており、5世紀末頃岡太川上流に美しい姫が訪れこの川の水は綺麗だから紙漉きを行うよう村人たちに言い、紙漉きの技術を伝えたのだそうです。

村人たちが名を訪ねると、女性は名を告げず、ただ岡太川の川上に住んでいるとだけ言い残した後、消えてしまいました。村人はこの女性を川上御前と呼び、紙の神様として岡太神社に祀り、崇め奉りました。このような伝説の残る越前和紙は、時代の流れとともに一般に広く普及し発展していきました。福井藩の藩札や、技術革新によって大量印刷が始まる前のお札などは越前和紙で作られていました。

種類

奉書紙

上質な楮を使用して作られる上質な和紙で、公文書など重要な場面で使用されてきました。

局紙

明治頃、紙幣の紙を作るために開発された耐久性に優れた紙で、印刷がしやすいのが特徴です。

鳥の子紙

すべらかな手触りとクリーム色の色合いがまるで卵の殻のような特徴を持つ和紙です。

壇紙

ごつごつとした肌触りが特徴的な和紙です。紙の原料の質感をより感じやすいです。

書画用紙

書道の書画用紙も、越前和紙で作られています。

特長

越前和紙の特徴として、紙の中ではかなり高い強度を持っていることや、格式の高い場面で使用されるなど高品質で品のある和紙であること等が挙げられます。かつてお札や証券は越前和紙で作られていたことや、現在では卒業証書など、大事な式典やシチュエーションに合わせて様々な使い方ができます。

機械で大量生産される通常の紙が持ち合わせていない味や手触り、気品などを感じることができる工芸品です。越前和紙の持つ丈夫さは通常の紙より優れており、越前和紙を使用したドレスやペーパークラフト、傘など幅広い商品が作られていることからその高度な耐久性が伺えます。また、越前和紙の繊維によって湿度を程よく保ってくれるため、カビや結露を防いでくれるなどの利点もあります。

作り方

越前和紙の作り方について、JTCO日本伝統文化振興機構のサイトから抜粋してご紹介致します。詳しく知りたい方はJTCO日本伝統文化振興機構の公式サイトをご覧ください。

まず越前和紙の主な原料となるのは楮、三椏、雁皮といった樹木を使用します。ネリにはノリウツギやトロロアオイを使いますが、漉く紙の種類に適したものを使います。混ぜて使用することもあります。

次に紙漉きの工程ですが和紙の生産工程は実に多く、基本となる8つの工程、それに和紙の種類・職人の一手間から来る追加工程からなっております。これら工程は古くから伝わるものであり、また長い年月のうちに創意工夫されたものであるため、これらの工程を実に忠実かつ丁寧に行うことによって、和紙本来の美しく滑らかな和紙を作ることが可能になりました。

この生産工程は、『煮沸』、『叩解(こうかい)』、『抄紙(しょうし)』の大きく3段階に分けられます。『煮沸』とは繊維質を抽出しやすくするために原料を加熱処理すること、『叩解』とは繊維質をたたいて分解すること、そして『抄紙』はその繊維をもとに紙を漉いていく作業になります。

出典:JTCO日本伝統文化振興機構

いかがでしたか?

福井県越前地方で作られている伝統的な和紙、越前和紙についての特集でした。1500年と言うとても長い歴史を持ち、高品質で美しい越前和紙は、はじまりにまつわる伝承が残っていたり機械で大量生産される紙では表現できない上品さや独特の趣深さを持っている個性的な伝統工芸品です。興味のある方はぜひ一度お手に取ってみてはいかがでしょうか。

高岡漆器

高岡漆器とは、富山県高岡市で作られている伝統工芸品です。日常用品として多くの人々に親しまれている高岡漆器は、様々な技法によって作られており、中には貝などの素材を利用した「青貝塗」という珍しい技法で作られた作品もあり、色んな作風を楽しむことのできる工芸品です。今回はそんな高岡漆器について詳しく特集していきます。

由来・歴史

高岡漆器の歴史はとても古く、江戸時代初期頃からはじまったと伝えられています。加賀藩の二代藩主前田利長は、城下町に職人を集め武具や箪笥などの生活用品を作らせたことからはじまり、発展していきました。

江戸時代中期頃になると辻丹甫という職人が花や植物、縁起の良い生き物などが施された「彫刻塗」を考案し、江戸時代末期には石井勇助という人物が中国の漆器について研究いた末に編み出した「勇助塗」を考案しました。

また、明治時代になると錆び入れや螺鈿といったユニークな加飾方法も加わり、高岡塗はますます人々の間に広まり、有名になっていきます。

高岡漆器は1975年に国の伝統工芸品に指定され、現在もなお伝統と技術を受け継ぎ続けています。現在では食器やお盆、箸置きなど人々の生活を支える日用品などが数多く販売されています。

種類

高岡漆器には主に3種類の技法によって作られています。

彫刻塗

辻丹甫によって考案された技法。主に花や植物、縁起のいい生き物を手彫りした木地の上に漆尾塗り重ねることによって仕上げる。

勇助塗

上塗りをした木地の上に唐風の花鳥風月や人物などを錆び漆で描くことによって仕上げる。

青貝塗

貝殻の光沢のある部分を削り取り、ひし形や三角形の形をした青貝を作りだし、それらを加飾の飾りとして美しい絵柄を施していく方法です。

特長

高岡漆器の特徴として、異なる様々な技法によって作られているため、色々な表情や表現を楽しめる点や、繊細な貝などの美しい加飾などが挙げられます。木を彫って漆を塗る彫刻塗の高岡漆器は、優雅で異国情緒漂う唐の雰囲気を感じることができます。

また、青貝塗は貝の光沢のある部分を利用して作られているため、貝の持つ特有の美しさや輝きを楽しむことができます。使用する貝殻によって真珠のような奥深い輝きを放つものや、青や赤に光り輝くものなどがあり、異なる美しさを楽しむことができます。

現在では、食器やお盆などに加えてヘアピンなどのアクセサリーなどおしゃれで使い勝手の良い商品も数多く制作され、販売されており、幅広い年代の人から親しまれています。

作り方

高岡漆器の作り方について、JTCO日本伝統文化振興機構ウェブサイトから抜粋してご紹介致します。詳しく知りたい方はJTCO日本伝統文化振興機構の公式サイトをご覧ください。

高岡漆器は「くり木地」「挽物木地」「曲物木地」「指物木地」という4種類の木地で製作されています。
また塗り方の代表的な技法として「彫刻塗」「青貝塗」「勇助塗」の3種類があります。

木地について

  • くり木地

のみで彫ったり削ったりして作成した木地です。

  • 挽物木地

木材をろくろにかけて削り作成した木地です。

  • 曲物木地

薄くした板を曲げて、輪状にした木地です。

  • 指物木地

数枚の板を組み合わせて作成した木地です。

塗り方について

  • 彫刻塗

彫刻塗は江戸中期に活躍した名工、辻丹甫の技法を元祖としており木彫、堆朱、堆黒などによる雷文や亀甲の地紋の上に、草花や鳥獣、青海波、牡丹、孔雀などを彫り出したものが多く、立体感と独特の艶があるのが特徴です。
この技法は19世紀はじめ、板屋小右衛門らに受け継がれ現在、高岡の彫刻漆器は色漆による色彩技法や皆朱塗などによって再現されています。
高岡彫刻は平らなところにある程度の少ない段差をつけて模様を彫る「平彫り」を行い、これにマコモ蒔き、さらに色漆をつけて仕上げるのが特徴です。

  • 青貝塗

青貝塗とは「鮑」「夜光貝」「蝶貝」「孔雀貝」などを薄く削った青貝と呼ばれる材料を使い、三角形や菱形の細片を作りそれらを組み合わせて山水や花鳥などを表現する技法です。
貝を細工していくことを総称して螺鈿(らでん)といい、一般的には約0.3ミリ厚の貝を使いますが、高岡漆器では0.1ミリ厚の貝も使い細工していきます。
この薄い貝を使った場合、下地の漆の色が透けて貝が青く光って見えます。
漆黒の深みのある光沢の中に鮮やかな虹色を放つ青貝を用いるこの技法は高岡漆器独自のものです。
古くは唐山水や日本的な花鳥風月を青貝で調度品などにあしらい今日では洋風のモダンなインテリアなどにデザインされています。

  • 勇助塗

勇助塗りとは江戸末期、初代石井勇助が当時、唐物として珍重されていた中国明時代の漆器に憧れ、その研究を重ね生み出した漆器の技法です。
特徴としては唐風の雰囲気をもつ意匠に花鳥、山水、人物などの錆絵を描き、青貝、玉石、箔絵などを施す総合的な塗りの技法です。
茶盆、器物など格調高く、繊細かつ趣に富んだ作品が県内外から高い評価を得ています。

出典:JTCO日本伝統文化振興機構

いかがでしたか?

富山県高岡市で作られている伝統工芸品、高岡漆器についての特集でした。高岡漆器は、現在では食器やお盆などに加えてヘアピンなどのアクセサリーなどおしゃれで使い勝手の良い商品が数多く販売されており、比較的手に取りやすい伝統的な工芸品です。興味のある方はぜひ一度お手に取ってみてはいかがでしょうか。